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山口県青少年育成県民会議

 
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令和3年度少年の主張コンクール 発表作文紹介
2022/02/16
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最優秀賞(県知事賞)

助け合える社会に
萩市立萩東中学校 2年 井町 百芭

 「おれは助けてもらわねぇと生きていけねぇ自信がある」
これは、ワンピースのルフィの言葉です。
 皆さんは、できないこと、苦手なことを人に頼ることはできますか。私は、できないことや苦手なことなら、それができる誰かに頼ってもいいのではないかと思います。けれども、こんな当たり前のようなことが、実際の生活では難しいのが現実です。
 例えば、小さい子どもに苦手なこと、できないことがあって、周囲に助けを求めているとします。そんなときなら、誰もが助けてあげなくてはと思うのではないでしょうか。でも、中学生や高校生ならどうでしょうか。ましては、大人だったら……。きっと小さい子どもの場合とは違う態度、違う行動を取ってしまうのではないでしょうか。できないところを見て、ちょっとバカにしたり、陰口を言ってしまったりはしていないでしょうか。
「早くやればいいのに。」
「それくらい、できてあたり前だろう。」
そう考える人もいるのではないでしょうか。
 しかし、私は、そういう社会は冷たい社会だと思うのです。「まだ小さいから。」とか、「体が不自由だから。」などの理由で助けるのではなく、「その人が困っている」かどうか。それを助ける基準にすべきなのではないでしょうか。
 「それくらい」のことだと、誰が決めるのでしょうか。誰かにとっての「それくらい」がその人にとっては難しいことだってあるのです。だから、ちょっとした心ない一言が、その人の気持ちを苦しくさせるのではないかと私は思います。
 私には、昨年まで同じ中学校の陸上部に入っていた姉がいました。姉は、走り幅跳びをしていました。その練習の負担からか、私と違って、大きい怪我をしてしまうことがありました。家族は姉の怪我により、いつも忙しそうに見えました。その頃の私は、どんなに足が痛くても、「痛いだけだし。」「考え過ぎかもしれないし。」と自分に言い聞かせ、家族にも言うことができませんでした。助けを求めることができなかったのです。だからこそ一人で困っている人、苦しんでいる人を見ると、自分自身が一人で悩んでいたときのことをいつも思い出します。
 「できないことや苦手なことがあれば、できるまで自分で努力すればいい。」と考える人もいるかもしれません。けれども、その人が「できないこと」や「苦手なこと」を少しだけ手伝ってくれる人がいたら、できるようになることもあるのではないでしょうか。
 誰にだって苦手なことや分からないことの一つや二つはあるはずです。それは、たとえ小さな子どもだろうと、中学生だろうと変わりはありません。だからこそ、得意な人や、苦にならない人に頼り、少しでもできるように、あるいは、理解できるようにすることが、社会で生きていくには大切なことだと思います。
 人は生まれてから死んでしまうまでに、たくさんの人に助けてもらいます。お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、兄弟、友達……。他にもたくさんの人たちの助けによって、今の私が、私達ができています。
 もちろん、助けてもらうのが当たり前だと考えてしまうのも、違います。できないこと、苦手なことを助けられたり、手伝ってもらったりしたら、相手に感謝の気持ちが届くように、「ありがとう」を伝えることも大切です。
 私は、誰もが困ったときに、「助けて」と言える社会をつくりたいと思います。苦手なことやできないことを助けてもらうこと、そして、自分自身も誰かのことを助けられる人になりたい。それが当たり前の社会にしていく。これが私の願いであり、私の目標です。


優秀賞(県教育長賞)

つながることの大切さ
下松市立久保中学校 2年 西田 こころ

「こんにちは」いつも私に声をかけてくださる、近所のおばあさんがいます。私は今まで、地域のつながりを感じることがありませんでした。しかし、ある出来事がきっかけで、地域のつながりを感じられるようになりました。
今年の1月のことです。その日はとても寒く、雪が降っていました。私が外で雪遊びをしていると、「ピチチ」とどこからか鳥の鳴き声が聞こえてくるのです。私の家は田舎にあり、鳥の鳴き声が聞こえてくるのはいつものことです。しかし、その時は鳥が叫んでいるように聞こえて、私は思わず鳥を探しました。
すると、近所の畑のネットに絡まって動けなくなっている鳥を見つけました。助けないと、と思いましたが、勝手に畑に入ってはいけません。畑の持ち主も分かりません。でも、鳥を見捨てることもできません。そこで私は思い切って近所のおばあさんに、聞いてみることにしました。
そのおばあさんは、車椅子のおじいさんと一緒に、私の家の裏側に住んでいます。優しそうなおばあさんで、おじいさんと一緒に散歩をしているのをよく見かけていました。出会えばあいさつをする程度のお付き合いでしたが、最近はあまり見かけなくなっていました。それで急に訪ねると迷惑になるかな、と思いながらも私はチャイムを鳴らしました。
「ピンポン」と音が鳴って、おばあさんが出てきてくださいました。事情を話すと、すぐに畑の持ち主を教えてくださいました。勇気を出して良かったと思いました。ネットを切って助け出して良いよと許可をもらい、母と慎重に鳥を助け出しました。「チチチチーッ」と元気な声で鳴き、鳥は飛び立っていきました。なんだかお礼を言っているかのような鳴き声でした。助けることができホッとしたと同時に、すごく汗をかいている自分に気付きました。
後日、おばあさんにお礼を言いにいきました。すると「頼って聞きにきてくれてとても嬉しかったのよ、ありがとう。」と逆にお礼を言ってくださいました。実は半年前に、車椅子のおじいさんが亡くなっていたそうなのです。その時初めて知りました。見かけることが少なかったのは、寂しくて、気持ちが沈んでしまっていたからだったそうです。そんなときに私が訪ねたこと、そして生きている鳥を助けることができたことを聞いたそうです。おばあさんの気持ちは少し明るくなり、また頑張ってみようと思えたそうです。
その日以降、おばあさんを外で見かけることが多くなりました。会った時には、声をかけてくださるようになりました。以前よりもお話をすることも増えたように感じます。あの時、思い切って良かったと思いました。あいさつぐらいでしか接したことが無かった私に、おばあさんは快く助けてくださいました。そして訪ねてきてくれて嬉しかったと言ってもらえて、私は心がとても温かくなりました。鳥のおかげで近所の人とのつながりを感じ、優しさにも触れることができました。鳥も私もおばあさんも、みんなつながっているんだと思いました。
コロナ禍である今の世の中は、人と人とのつながりが薄くなってきているのではないかと思います。オンライン授業、テレワークなど、世の中はどんどん変わってきています。けれど、どんなに技術が発達して世の中が変わっても、人と人とのつながりは大切なことだと思います。今回の出来事でそれを感じました。鳥を助けた、その事だけで、みんながつながり、元気になり、幸せにつながったのです。困ったら助け合う。そんなふうに生きていきたいと思いました。ある冬の日の小さな出来事が、私にそれを教えてくれました。


優秀賞(県民会議会長賞)

共に高め合う
下松市立久保中学校 2年 加藤 花菜

「応援優勝…赤団。」緊張が走るグラウンドに得点係の声が響く。赤い旗が雨上がりの青い空に上がる。友達と目を合わせ、思わずガッツポーズをした。心の底から嬉しかった。去年の運動会のことを、私は忘れない。
コロナウイルスのせいで、楽しみにしていた入学式も中止になった私達にとって、運動会は、中学生になってから、初めての一大行事だ。私は応援団を任された。「絶対優勝しようね!」同じく応援団になった友達と、張り切りながら言い合った。先輩に、動きや掛け声を教えてもらい、家でも練習した。苦手なダンスだって一生懸命練習した。
初めての全校練習。私は同じ学年の女子に応援を教えることになった。その日は運動会までの練習計画を話した。私の頭の中に、背中を反らすほど声を出し、一生懸命になっているみんなの姿が浮かんでいた。しかし、次の練習で「ここはこうもっと手を伸ばして。」聞いていない。「じゃあ、今やったところまで一回通すよ。せーの。」だめだ。声が全然出てないし、動きも揃っていない。その後の各団での見せ合いでも、赤団は全く揃っていない、声も出ていない、かなりまずい状況だ。次の日貼り出された得点は、案の定白団に負けていた。
私は、初めてだから仕方がないと思っていた。しかし、次の練習でも、その次の練習でも、やる気が全く見えない。白団と、どんどん点差が開いていく。「期待していたのに。」「赤団まずいよ。このまま負けるよ。」赤団の担当ではない先生にも言われ、どんどん追い詰められる。白団との差にあせって、口調が強くなる。「もっと声出るやろ。」「ちゃんと手を伸ばして。」前より注意を増やしているのに、全然よくならない。むしろ悪くなっていく。どうしたらいいんだろう。そんな自分達を変えたのは、赤団担当の先生の言葉だった。
その日は雨で、室内での練習となった。練習が終わって、先生から話があった。「指摘ばかりされとっても誰もついてきたがらんよ。命令するんじゃなくて『一緒にやろう』『一緒に頑張ろう』って言いながらやっていったら良くなるんじゃない?」私はハッとした。確かに今まで、焦りから強い口調になっていた。自分はみんなを信じていなかった。あんなに降っていた雨はいつの間にか止み、外は晴れていた。
その次の練習から、どうしても揃わない所も、一人一人動きを見て、どこをどう直せばいいのか細かく説明したり、自分ばかり話すのではなく、お互いに教え合う時間をとったりした。さらに「めっちゃいいじゃん。」とか「大丈夫よ。一緒にがんばろう。」などプラスの言葉をかけるように心がけた。すると、練習の雰囲気がとてもよくなっていった。あんなに嫌だった練習も、とても楽しくなった。
ついに運動会当日。プログラムはどんどん進み、あっという間に応援合戦だ。みんなとても緊張していた。自分もそうだった。「赤団行くぞ!」「おおっ!」団長に続いて、緊張を吹き飛ばすかのように、お腹の底から声を出した。コールもよさこいも、全員全力で声を出している。グラウンドに、赤団の声が響く。指先までしっかり伸び、動きもよく揃っている。最後の決めポーズも、きれいに決まった。全て出し切った。終わった後、黒くなった顔で「やったね。」と言い合った。応援優勝が赤団と発表された時は、うれしくて、顔が熱くなった。
人を動かすためには、ただ指摘するのではなく、リーダーとリーダーについていく人達が共に高め合おうとする姿勢が大事だ。そうすることで、お互い協力し合い、足りない部分をおぎない合いながら成長することができる。私は、運動会で学んだこのことを大切に、生徒会活動や部活動に取り組んでいきたい。


優 良 賞

萌えたつ想い
田布施町立田布施中学校 2年 倉橋 和希

誰もがみんな、自分の失敗を語るには勇気がいります。でも、この想いを伝えたい。僕は自分の殻を破って話したいと思います。
それは、忘れもしない小学5年の夏。学校林から友達と校舎に向かっていた時のことです。ふと目にした小石。こんな所にあったら危ないなと思った僕は、端に寄せようと足を動かしました。
「ガッシャーン!」
どうしよう……。頭が真っ白になって、心臓がバクバク激しい音を立て始めました。
「先生、すみません。」
「誰も怪我をしなくてよかった。これからは、よく考えて行動しようね。」
心は割れたガラスのように粉々のまま、家に辿り着くと、いつものように祖母が玄関で迎えてくれました。
「お帰り。今日も暑かったね。」
「おばあちゃん。あのね、あのね……。」
勇気を出して、話しました。話し終えた僕は、怒られるだろうと身構えました。
「よく自分から正直に話してくれたね。」
そう言うと、祖母は僕を抱きしめてくれたのです。カチコチになった肩が、ほっとなるのを感じました。夕方、両親と学校にお詫びに行きました。先生からの温かい言葉に、母は泣いていました。僕は胸がぎゅっとなりました。これからは同じ過ちをしないように、よく考えて行動しようと心に誓いました。
 中学生になったある日。新聞で、厳しい学習環境に置かれている子どもたちについて書かれていました。法務省によると、2019年に少年院に入った少年の学歴は、4割が高校中退。2割強が中学卒業だというのです。食事も満足に食べることができない。家族の介護で自分の時間がない。自分の居場所がないばかりか、心身の虐待を受ける。ニュースで何度も見聞きしました。なぜ、どうして。疑問や責める気持ちが湧いてきました。
 母がガラスを割った時の話をしながら、和希は幸せねと言いました。親が一緒に謝ってくれたことかなと尋ねると、もう同じ過ちはしないぞと誓ったことだと言うのです。普通だと思っていたことが、普通ではなかったのです。悪いことをしたら親が自分に振り向いてくれる。そのゆがんだ喜びから、過ちを繰り返す子どもがいるという現実。想像すらできませんでした。僕は自分さえ幸せならいいのだろうか。僕にも何かできることはないのだろうか。
 『学は人たる所以を学ぶなり』学問とはいかに生きるべきかを学ぶこと。学べない人のために学んで、社会のために役立てるのが勉強だという吉田松陰の言葉です。「よし、自分のやるべきことに努力を惜しまずやってみよう」と思い立ちました。今までの僕は、勉強の目的も自分のことばかりで、人前に出るのは苦手でした。先ずは、授業中に手を挙げて発言することに取り組みました。誰かが言ってくれるだろう、一人だけ手を挙げるなんて恥ずかしいという思いを捨てました。また、運動会の応援団や生徒会活動にチャレンジしています。社会にとっては、何でもない変化かもしれません。ですが、自分にできることを積み重ねることしか、今の僕にできることはありません。もちろん、苦手なこともあれば、失敗して落ち込むこともあります。でも、先生や家族のフォロー、友達の励ましで、また頑張っていけるのです。「くらちゃん、どんまい!」の言葉に勇気づけられるのです。
 もしも、少年院に入った彼らが、家族の愛情、人の優しさ、社会の温かさに触れていたら、違う人生だったかもしれません。子どもはみんな、小さな手に夢と希望をぎゅっと握りしめて生まれてくると聞いたことがあります。この世に生を受けて、目にしたもの、耳にしたもの、心で感じたものよって諦めたのだとしたら、とても悲しいことです。誰もが、この世界に生まれてよかったと感謝がもてるように、僕はしっかり学びたい。学んだことを社会に生かせる人になりたい。


優 良 賞

本当の豊かさとは
萩市立萩東中学校 2年 今野 陽斗

皆さんは、AIと聞いてどんなことを考えますか。機械やロボット、便利さなどでしょうか。最近では、科学の発展に伴い、AIが私たちの生活にとって身近な存在になってきました。映画の世界でも取り上げられることが多くなり、その影響か、AIを怖いものだと考える人もいるかもしれません。では、AI開発の目的にもあるように、本当にAIは人間を豊かにしてくれるのでしょうか。
そもそもAIとは、何なのでしょうか。AIの意味は「人工知能」です。その言葉から分かるように、AIは自分で答えを考え、正解へと導くことができます。具体的な例では、パズルゲームやボードゲームを学習させて人との勝負に勝たせたり、人との会話ができるようにさせたりするというものがあります。「なんだ。オセロや話ができたって、人が豊かになるとは限らないじゃないか。」
そう思った人もいるかもしれません。しかし、実はAIが注目されているのは、これからの進歩です。例えば、ボードゲームをもっと広く、都市のサイズで考えてみてください。今の自分の置かれた状態、周囲の状況を見て、自分のルートを考える。つまり、これは自動運転の技術です。AIが進歩すれば高速道路以外も自動運転ができます。あるいは、接客業などを担うこともできるでしょう。
最近、よく言われるのが、人の仕事をAIが奪ってしまうという問題です。しかし、これは本当に問題なのでしょうか。人間は失敗をします。医療ミスや働き方の問題点など、働く上での人の失敗は数えきれないほどあります。それならば、分野によってはAIに仕事を任せた方がよほど安全で安心な社会になるのではないでしょうか。
仕事がなくなれば、どうやって生活していくのだという人もいるかもしれません。しかし、これさえもAIが必要とされる所で働き、人がAIを管理する側に立てば、生活もでき、問題も少なくなるのではないでしょうか。
AIにはできない仕事がある。そんな話を聞くことがあります。その理由の一つは、AIは最適解しか出せないということ。もう一つは、未知の創造性がないことです。つまり、答えがなく、未知の創造である、お笑いや芸術、音楽の創造などは、AIにはできないことなのです。そして、人間関係を築くということも……。
僕は昔から人付き合いが苦手で、友達が多くありませんでした。でもそんな時、偶然僕に寄り添ってくれる人がいたのです。その人は僕のことを理解し、今では僕の親友になっています。もし、僕が人付き合いが苦手ではなかったなら、僕にとって信頼できる今の友達はできていなかったかもしれません。
もしAIが私たちの生活に入り込み、人間関係や芸術にも「正解」を求めるようになれば、今のように多彩だからこそ面白い、個性あふれる人との関わりや人間関係は生まれなくなってしまうのではないでしょうか。
私たちは、この未来というキャンパスに余白が残っているからこそ、何が起きるか分からない楽しみがあり、人生を飽きることなく過ごすことができます。不完全であること。これこそが人の良さであり、本当の豊かさなのです。そして、AIさえも、不完全な人間に創られたものであることを私たちは忘れてはなりません。
大切なことは、人間がAI任せにならず、人間がすべきことを見極めることです。かつて科学の進歩は、人々に便利さと引き替えに、人間らしさの欠片もない、悲惨な殺戮の道具を創り出してしまいました。AIの行き着く方向性を決めるのも人間です。その怖さを忘れず、私も人類の一員として、自分の頭で考え、人間にとって何が豊かなのか、思考することを放棄せず、生きていきたいと思います。


優 良 賞

祖父からの手紙
美祢市立厚保中学校 3年 福井 穂乃佳

「じいちゃんね、今朝の9時頃に亡くなったんだって。今じいちゃんが家に来とるから、拝んでおいて。」
部活動が終わり、車内で弟2人と一緒におやつを食べているときに、母からそう告げられました。私の祖父は、2年ぐらい前から病気で入院していました。コロナウイルス感染症の影響があり、祖父に会う機会が少なくなっていたため、正直に言うと悲しいという実感がなく、自分の気持ちがよくわかりませんでした。
家に帰ると、家族が全員揃っていました。いつもの明るい雰囲気ではなく、今まで経験したことのないような、何にも例えられない不思議な雰囲気でした。特に祖母からは、隠し切れないほどの悲しみがあふれているような気がしました。祖母から「じいちゃんあそこの部屋にいるから、お話しておいで。」と言われました。私は少し緊張しながら、弟2人を連れて祖父のもとへ行きました。部屋に入ると、そこには小さめの白い布団と焼香が置いてある台がありました。弟2人が一瞬で固まったのがわかりました。「弟たちを何とかしないと。」と強く思い、私が最初にお焼香をあげました。何を言えばいいのかが全く分からなかったのですが、口から出た言葉は「今までありがとう。」でした。弟たちも少しは心が落ち着いたようで、何とかお焼香をあげていました。お焼香をあげ終えた時に、ちょうど祖母が部屋に入ってきました。祖父に近づき、顔の上にある白い布を取りました。「孫が来たよ。よかったね。生きとるうちに会わせたかったんやけどね。」と祖母は涙ぐみながら言っていました。弟はこっそりと泣いていました。
そして次の日から、お通夜や葬儀でとても忙しくなりました。その時、「じいちゃんの頭をなでてあげて」と祖母に言われ、祖父が亡くなって初めて触れました。いつまでも忘れられない、冷たくて柔らかい不思議な感触でした。祖母はやはり泣いていました。火葬場に行って、ついに私の祖父は骨だけになりました。骨はボロボロでした。弟2人は骨壺に収めるのが怖いと言っていました。骨壺に骨を全て納めて火葬が終わりました。
祖父が他界した後の私の家は少しですが変わりました。私と弟2人は「死」に関する言葉を口にすることがなくなりました。今までは喧嘩をする際に子どもながら、「死」に関する言葉を投げかけていました。人を傷付ける言葉への抵抗感はありませんでした。しかし、「死」という言葉の重みにようやく気付いた私たちは、口にすることをやめました。
最近は「死」に関することを簡単に言えてしまう人が多くなっていると私は思います。何かに腹が立った時、何か上手くいかなかった時、「死」という言葉は簡単に口から出てしまいます。しかし、それを言われてしまった人にとっては、一生引きずってしまうぐらいの大きな傷になることもあるでしょう。
だから私は、人を傷つける言葉ではなく、人を笑顔にする言葉を発して生きていきたいと感じました。人間はいつか死んでしまいます。短い人生、少しでも周囲の人が幸せに過ごせるような言葉を伝えた方が良いと思いませんか。
「むかつく、死ねばいいのに。」
「調子に乗っているから、死んでほしい。」
「うざい、殺す。」
 みなさんは、会話の流れでついこのような言葉を言ってはいないでしょうか。もしもあなたが、誰かを笑顔にするような温かい言葉をかけることができれば、心が救われる人が必ずいます。あなたから笑顔の輪を。


優 良 賞

罰則化は道徳心を育てるのか
周南市立岐陽中学校 1年 仲子 結菜

私は、小さい頃苦手だった事があります。それは、信号機のない横断歩道を渡ることです。なぜかと言うと、赤信号にならないので車が止まってくれず、いつまで経っても渡れないからです。小学生の頃、近所の横断歩道を一人で渡ろうとした時、何分待っても渡れずに泣きそうになった覚えがあります。その頃は、自分が小さくて見えにくかったのだろうと思っていましたが、車の助手席に乗る機会が増えた今、意外にも横断歩道も歩行者もよく見えることに気付きました。
では、なぜ車は停止をしてくれないのでしょうか。
2年前、私は夏休みを利用してアメリカで2週間ほど過ごしました。私が行ったカリフォルニア州には、8車線の車道があったり、渋滞緩和のため乗り合いをした車は優先レーンで進めたりと珍しい交通ルールがありました。私が何より驚いたのは、横断歩道を渡りたい人がいた時、車は歩行者が最後まで渡り切らないと進んではいけない法律があり、皆守っていたことです。信号機の有り無しに関わらず、きちんと止まっている車ばかり見かけたのが印象に残っています。
法律ということは、守らなければ罰則があります。人は罰則を受けることを嫌がります。ルールを守らせようとするなら、罰則を作るのが早いかもしれません。もちろん、凶悪な事をすると厳しい罰則があることは、抑止力にもつながると思います。しかし、禁止をされていることがなぜ良くないのか、きちんと理解できている人はどのくらいいるのでしょうか。
私が買い物に行った時、大人が子どもに
「お店の人に怒られるからやめなさい。」
と注意をしていた姿を、何度か見かけたことがあります。子どもに対して、なぜ良くないのかを説明せず、人に怒られるからという理由でやめさせようとしていた事に、私は疑問をいだきました。けがをして危ないからや、人に当たって迷惑がかかるからなど、禁止する理由を明確に説明をしてあげなければ、怒る人が見ていない時は、しても良いというかん違いを生むのではないだろうかと思いました。
 では反対に、相手の立ち場や周りの人の事を考える時間を、少しでも持てた時はどうでしょう。物を落とした人に声をかけて教えてあげた、荷物の多い人がいたらエレベーターなどの扉を開けてあげたなど、みなさんにも経験したことはありませんか。それは、決してそうしなければ罰則があるからではないと思います。自分がその人だったらどうしてほしいのか考え、優しい気持ちからとっさに体が動いたのではないでしょうか。
 実は、始めに述べた横断歩道の例は、調べたら日本でも交通ルールでも定められていて、罰則もありました。ただあまり知られていないだけのようです。でも私は、その罰則について、強く主張をしたい訳ではありません。人との関わりが少なくなってしまった今だからこそ、幼い子にはていねいに一つひとつ分かるように、ルールやマナーを教え、忙しい日々を送る大人も、心と時間に少し余裕をもって譲り合う気持ちを思い出してほしいと思います。そして私達は、これからの社会を背負っていく者として、意見を出し合い協力して、全ての世代が住みやすい環境を作っていかなければいけません。譲り合いや相手を思いやることは、自分自身の心も豊かにしてくれます。ルールを守らないとすぐ罰則を作るというのではなく、ルールを守れる心を育てることが最も重要な事だと思います。
 みなさんも、今一度生活を見直して、よりよい社会を共に創っていきましょう。


優 良 賞

分かち合う
下松市立久保中学校 2年 久保 郁也

「全国全ての小学校、中学校について臨時休業を行うよう要請します。」それは、突然のことだった。卒業式に向かって準備を進めてきたあの日。テレビ越しに聞いた不安な言葉。これからどうなるのだろうと思うと僕は、目の前が真っ白になった。ふと、横を見ると、家族みんな同じような顔をして夕飯を食べていた。
その日から生活が大きく変わった。登校するという目的もないのに早起きをし、時間割りがなく、ただ親がプリントしてくれた問題集を解いた。時間が来れば御飯を食べた。夕方の習い事もすべて休みになり、もて余す時間を必死に何かで埋めた。春休みに入ると必ず家族旅行に出掛けていたが、その予定すらない。楽しいことも、嬉しいことも、悲しいこともない日々。待ち遠しかったはずの春休み。でも、今待ち遠しいのは入学式。今まで感じたことのない不思議な気持ちだった。
モヤモヤしたままそんな生活が2ヶ月も続き、ようやく中学校生活が始まった。新しい制服。久しぶりの友達。マスク越しの会話。いつもの風景なのに全てのことが新鮮に映った。ぽっかりと空いた穴を埋めるかの様に僕はものすごく頑張った。中学校生活も分からないのに学級委員長の仕事。部活は、全くの未経験の剣道部。テストも、小学生の時とは違う様式に戸惑いながらも、なかなかの出来だった。塾にも通い始めた。あんなに長く感じていた1日が、足りない1日になっていった。更に僕に拍車をかけたのが運動会での応援リーダー。みんなの手本になれる様に頑張るとほめてもらえた。その言葉を真に受けて、もっと頑張った。本当は僕の心の中はプレッシャーでいっぱいいっぱいだった。夜になると辛くも無いのに涙がこぼれた日もあった。こんな僕を見ていて母は、「それは、あなたがしないといけない事なの?今やらないといけない事なの?」と、何回も聞いた。
それから学校生活も4ヶ月が過ぎ、松風祭が行われた。当日まで、クラスみんなで一生懸命歌の練習をした。そして、みんなで勝ち取った金賞。それは、とても価値のあるものだった。みんなが一丸となった時の心地良い感覚は、忘れることができない。クラスみんなで喜んだ。あれほど嬉しかったことはなかったと思う。クラスが笑顔でいっぱいになっていた。僕もその一員であった。この時は何の役職も付いていなかった。でも、疎外感は全くなく、むしろ一体感の方を強く感じた。
担任の先生からは、「人付き合いが上手くなったね。」と言われた。僕は、僕の思いだけで突っ走っていた所があったと思う。だけど、友達と協力し、喜びもつらいことも分かち合うことで、気持ちが楽になっていた。そして、大きな達成感を得ることができた。それを感じると、僕の心は明るくなった。
小杉友巳さんは、「人は一人では生きていけませんし、一人でできる事も限られています。仲間とはあなたのできない事を助けてくれる人達であり、またあなたにしかできない事で助けてあげられる人達の事でもあります。」と語る。緊急事態宣言が出ていた時のように、時間がたくさんあるけれど、人と会えない時より、今の生活のほうが思い通りにいかない事も多く、忙しい。でも、幸せだと思える。なぜなら、僕には仲間がいるからだ。「情けは人のためならず」という言葉がある。仲間を大切にするということは、自分を助けるということではないだろうか。仲間に頼るだけでは良くない。だが、自分一人で抱え込むのも良くない。苦労を分散すれば、それに携わった友達同士で喜びを分かち合える。お互いに信頼し合い、支え合うことでたくさんの幸せを作れるのではないか。そして、良い関係を築くことで、お互いに人生が豊かになるのではないだろうか。


 

令和2年度 少年の主張コンクールについて
2021/09/14
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最優秀賞 後藤 遥香 さん
最優秀賞(県知事賞)

私にだってできたのだから
萩市立萩東中学校 3年 後藤 遙香

 あなたには、こんなことはありませんか。悩んでいて、一歩も動けない。辛くて、怖くて、どこからも光が差し込んでこない。暗闇に一人でうずくまっているようなこと。
 私の小学校は少人数で、何をするにも、そばには友達がいて、やってみたいことを素直に言える環境で過ごしてきました。しかし、中学校生活は、そう簡単にはいきませんでした。三つの小学校から集まった、大きな集団。そんな中で起こった出来事。それは、私が私であることを許さない、数々の冷たい行為でした。小学校の時のようにやりたいことに挑戦していた私は、不意に腕をつねられたり、陰口を言われたりするようになったのです。
 皆さんは、考えたことがありますか。同じ学年、同じクラスの中で、立場の違いを感じる苦しみを。同じ学年の中で、目立っても何も言われない人がいます。彼らは「陽キャ」と呼ばれ、学年の主役のような存在です。運動ができ、見た目も良く、言いたいことも臆することなく言うことができます。その反対に、「陰キャ」と呼ばれる人は、いつも脇役で、目立つことが許されない雰囲気でした。
 私が所属していた部活にも、同学年なのに気を使わなければいけない空気が生まれていました。「陽キャ」となった友達の態度は次第に変わり、私も変わっていきました。
「もし逆らったら、どうなるんだろう。」
そんなことばかりが頭をよぎり、してはいけないことをしたり、嫌ないじられ方をしても笑って過ごしたりするようになりました。そんなときのことです。
「転部すればいいじゃん。」
友達からのなにげない一言が、前を向くのを諦めていた私の心を動かしたのです。
「このままの私でいたくない。」
先生の助言により私は再出発を決意しました。
 次の一歩は、生徒会執行部としての活動でした。そんな私に、相変わらず「陰キャ」としての冷たい扱いや陰口があり、何もしない方が楽かと思う時もありました。けれども、何度も落ち込みそうになる私の目の前には、学校を変えるために、学年や性別を超え、なりふり構わず一生懸命に行動する先輩たちがいました。全校の難しい課題にもひるむことなく、前向きに活動する先輩たちがいたのです。先輩たちと行動を共にするうちに、私は気が付きました。私自身が「陽キャ」や「陰キャ」といった「作られた枠組み」に縛られ、動けなくなっていたということに。
「私にもできることがあるかもしれない。」
私の世界は大きく変わり始めました。
 今年度の生徒会のテーマは、挨拶の向上です。挨拶のあふれる学校にしたい。これが今年度の私たちの挑戦です。執行部でアイデアを出し合って考えたのが、「止まって挨拶する止まペコ、座っていても立ち上がって挨拶する立ちペコ、人前を横切る時に黙礼する前ペコ」です。これを広めるため、生徒集会での劇を企画しました。ところが、新型コロナウィルスの感染拡大予防のため、全校での集会はできません。そこで、学年を分け、3回にわたって同じ劇を繰り返しました。私たちの思いを受け、今では挨拶を進んで行う、挨拶マスターも現れるようになりました。「3ペコ」が私たちの合言葉です。私たちはきっと挨拶革命を起こしてみせます。
 応援してくれる人がいるから。悩んでいる人がいるから。私は立ち止まるわけにはいきません。「作られた枠組み」で苦しんでいる人に。想いを殺し、動けなくなっている人に。この思いを届け、その心に温かいともしびが生まれることを願います。人と人の間を隔てる「枠組み」など、もともとありはしないのです。一人ひとりの人間がいて、一人ひとりに揺れ動く心があるのです。諦めなければ、きっとできる。私にだってできたのだから。

優秀賞(県教育長賞)

「当たり前の有り難さ」
下松市立久保中学校 3年 西田 俊太郎

僕は、5歳の頃から剣道を習っています。今は剣道部に所属しながら、地域の道場にも通っています。しかし、今回の新型コロナウィルスの影響で3月から道場での稽古や、部活動が中止になっています。いつ再開されるか全く分かりません。
 元々剣道は、僕自身が望んで始めたのではなく、小さい頃はいつも泣きながら稽古をしていたそうです。いろいろな偶然が重なり、習い始めて今年で10年になります。正直に言うと、剣道が好きなのかどうか分かりません。夏は汗だくになり、目に入った汗を拭うことも出来ないし、冬は足の感覚がなくなるほど寒いのです。打たれたときの痛み、厳しい先生。そして、どんなに稽古しても、僕は決して特別強い選手ではないのです。「何で剣道をやっているのだろう。」と思うこともしばしばです。剣道は中学生限りで止めようと思い、それを親に宣言したこともありました。
 そんな中、新型コロナウィルスの影響で、2月末に突然の休校宣言がありました。その時は、正直に言って嬉しかったです。僕は疲れていて休みたかったからです。実際、最初の数日はとても快適でした。日中、親は仕事で不在なので、勉強もそこそこに、テレビやゲーム。寝たいときに寝てごろごろする。もちろん剣道もなく、完全に剣道から切り離された生活を送りました。自由でゆったりとした時間が流れました。そして、もうこのまま、部活動は引退するかもしれないという思いも頭をよぎりました。
 しかし、休校がたびたび延長になり、しかも先が見えないことで不安を感じるようになりました。登校できないこと、友達に会えないことも不安だったけれど、なぜか一番に頭に浮かんだのは剣道のことでした。
 「いつになったら剣道ができるのだろう。」
いつしか僕はそう考えていました。もう剣道は止めようと思っていたのに、気が付けば僕は剣道のことを考えていました。剣道の仲間のこと、稽古のこと、試合のこと。剣道が好きかどうかも分からなかったのに、剣道は僕の中で、なくてはならないものになっていたのです。
 当たり前だと思っていた日常が当たり前ではなくなったときに、初めて当たり前の大切さに気づくのかもしれません。今回の件で僕はそれを思い知りました。当たり前の日常がいとも簡単に崩れていく。それがいつまで続くか分からない。僕は絶望的な
気持ちになり、当たり前だと思っていた日々を思い出すと、涙がこみ上げてきました。
 ある晴れた日に、外で素振りをしてみました。久しぶりに持った竹刀は重く感じましたが、竹刀を振ると「ビュン」といい音がしました。少し嬉しくなりました。「ちゃんと毎日素振りをすれば良かった。面倒くさがらずに、試合でなくても、防具を着けなくても、剣道をする方法は、他にもあるじゃないか。」僕はそんなことも忘れていたようです。久しぶりの素振りはとても気持ちのよいものでした。晴れた空のように、僕の気持ちも晴れて気持ちを切り替える機会になりました。
 今、当たり前の日々の有り難さを実感しています。こんなことがなければ気付かなかったかもしれません。有り難いという字は「有ることが難しい。」と書きます。それに気づいたときはっとしました。当たり前の日々は実はとても奇跡のような日々だったのです。
 これからどんな困難な状況になろうと、僕は今できることに精一杯取り組みたいと思います。過去を振り返るより、前を向いて歩こう。今自分にできることを一生懸命やろう。穏やかな日々に感謝し、下を向かず笑って歩こう。もし、当たり前の日常が戻ってきたら、その時は当たり前の有り難さを忘れずに、僕は日々を大切に生きていこうと思います。

優秀賞(県民会議会長賞)

「自分を見つめ直せた時間」
下松市立久保中学校 3年 寺島 瑠珠

小さい頃の自分は漠然と子どもが好きだから保育士になろうと考えていました。しかし、今は看護師になりたいと強く思うようになりました。それは、あることがきっかけでした。
祖父は今、介護施設に入所しています。ちょうど1年前の今頃、祖父は脳梗塞で倒れました。命を取りとめたものの、自由に体を動かすことが出来ない状態になりました。その間、医師や看護師さんたちが懸命に治療や看護に当たってくださいました。意識がない中も笑顔で話しかけてくださったり、少しでも体が動かせるようにリハビリの支援をしてくださったり。その献身的な姿に私は驚き、本当に感動しました。そのおかげもあり、今祖父はリハビリを経て、施設に移ることができました。そこでも看護師さんの優しい笑顔の中で日々生活しています。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。そして、患者さんやその家族のために働く看護師さんの姿を見て、私も看護の道を志すようになったのです。
さらに、看護士を志す私の気持ちをいっそう強くしたのは母の姿でした。母は看護師です。人工透析という部署で働いています。人工透析とは、血液をきれいにする働きを腎臓に代わって機械で行う治療法で、治療しなければ命にかかわります。そして、新型コロナウィルスに感染すると重症化するリスクが高いといわれる病気です。だから母は自分が感染して患者さんにうつしてはいけないと、毎日緊張感の中で生活しています。また、私たち家族にも心を配り、行動を促してくれます。母は一時も気を抜くことが出来ない緊張の毎日で、とても疲れていると思います。でも、母は一歩外に出ると、きっと患者さんには一杯の笑顔で接していると思います。なぜなら母は私にいつも患者さんとの会話を楽しそうに聞かせてくれるからです。また、時々買い物で患者さんに出会って母が嬉しそうに話している姿を見ることがあります。患者さんも楽しそうです。母にとって、患者さんの幸せが自分の幸せなんだと思います。そんな母の姿を見ると、私も幸せな気持ちになります。
新型コロナウィルスが流行する今、医療従事者が偏見の目で見られ、その家族まで差別されることがあると耳にします。胸が痛くなります。こんなに患者さんのことを思って一生懸命向き合っている母の姿を日々目にしているからこそ、心ない言葉に傷つきます。
しかし、医療従事者やその家族にとって嬉しいこともあります。それは医療従事者へのエールを送るいろいろな活動です。感謝の気持ちを新聞広告に載せたり、拍手で表したり。建物を青く照らして感謝の気持ちを表す活動もあります。医療従事者は、それを目にすると、どんなに辛くてもまた頑張ろうという気持ちになれるのだと思います。
どんなに世の中が進化しても、人を支えるのは人しかありません。お互いが周囲の人に感謝しながら、自分が出来ることで誰かを支えていく。それができればみんなが幸せになれるのではないでしょうか。誰かを責めるのではなく、互いに励まし合う、そんな社会になればと思います。
今も母は朝早く出勤し、家事育児をしながら看護師をしています。そして、一日の終わりに、「今日も何事もなく無事に帰れて嬉しい。」とほっとした表情で口にします。大変そうですが、人の役に立つことに喜びを感じている母の姿は、本当にかっこいいと思います。
今回、新型コロナウィルスの流行をきっかけとして、自分の将来についてじっくり考えることができました。尊敬する母の背中を毎日目にしながら、私は今、看護師になりたいという気持ちを強くしています。辛い病気を抱える人、悲しい思いをしている人の力に少しでもなれるよう、夢に向かって一歩ずつ前進していきたいと思います。

優良賞

「自分だけ」の使い方
下関市立文洋中学校 3年 濱田 まつり

歩道の隅に点々と見える煙草のかす達、自販機の横に溢れかえっている空き缶、青々と茂る草達の真ん中に見えるお菓子の袋。
 ある日一人が道の隅に隠すようにゴミを投げる。またある日一人がそのゴミと並べるようにゴミを投げる。そんな日が何日も繰り返され、ある日その道を通った人の目がそこらに点々と目立つゴミ達をとらえ気分を害す。
 別にゴミを投げていった人達も誰かを嫌な気持ちにしてやろうなんて考えはないと思う。また「みんなでここにゴミを増やそう」という考えもない。ただただ、みんな、ここにはあまりゴミがないから少しだけなら大丈夫から始まり、ここならもうたくさんゴミがあるから自分もいいかなという気持ち。あるいは何も考えず平気でそこにゴミを投げる。しかしほとんどの人達は「ポイ捨ては良い行いではない」と分かっているはずだ。なのに何故歩道の隅にゴミをみつけてしまうのだろう。
 それはきっと「自分だけなら」という気持ちがたくさんの人の中にあるからだと思う。道を歩く人たち全員がそこら中ゴミを棄てたら大変なことになるのは分かっているけれど、みんな自分だけならと思ってしまいその気持ちがたくさん集まり、結局「自分だけ」のつもりが気づけば「たくさんの人」になって、あのゴミの塊を作ってしまうのだろう。
 この「自分だけなら」という気持ち。私も含めほとんどの人が持ち合わせているのではないだろうか。もちろんその大きさはみんな違って、自分だけならと思ってしまっても歯止めをかけ我慢する人。逆に自分をどんどん甘やかしてついには人を傷つけてしまう人。
 私は世の中に起こる「犯罪」も「自分だけなら」という気持ちからきたものもあるのではと考えた。テレビで見た万引きGメン。私はそんなに簡単に万引きする人が見つかるのかなと思っていたが、誰にも見られていないか確認しながら棚の商品をそっと鞄の中に入れてしまう人は結構いて、少し驚いた。そして、「何故万引きをしてしまうんだろう」と考えた。万引きするのにどんな理由があるのだろう。遊び半分でしてしまう人もいると思う。とても生活に困ってやむをえず商品を鞄に入れてしまう人もいると思う。だけど逆に万引きしていた人が自分の物を勝手に盗られたら、怒り出すと思う。つまり万引きも相手を考えない「自分だけなら」という気持ちから始まってしまっているのだと思う。
 では、どうしたら「自分だけ」を防いでいけるのだろうか。多分、「自分だけ」という気持ちは誰もの中にあり完全にふたをするのは難しいと思う。でも「自分だけ」という考えは全て悪いということはないと思う。「自分だけ」のあとに「なら」をつけてしまうからダメな方向に進んでしまうのではないだろうか。だとしたら「自分だけでも」という考えに置き換えてはどうだろう。例えば、そこで人が泣いている。自分一人ではどうしようもない。「自分だけなら」無視しても変わらない。でも、「自分だけでも」側によりそえたら安心してくれないかな…。
 道にゴミが放棄されている。「自分だけなら」別にいいよねという気持ちでたまっていったゴミ達。それを「自分だけでも」ゴミを拾おう!という人が現れたら。
 こういう風に「自分だけなら」と思ってしまう自分勝手な嫌な気持ちを、「自分だけでも」という前向きな広い心に置き換えられたら。「自分だけでも側にいてあげよう」「自分だけでもゴミを拾っていこう」というふうにみんなが考え出したら……。きっとこの社会は、もっともっと良い方向へ動き出せるのだと私は思う。

優良賞

周りの人から、自分から
萩市立むつみ中学校 3年 森田 遼

みなさんは、自分と人との“関わり”について強く考えたことがありますか。
私は今まで、「みんながいて良かった」という“関わり”を感じることはあったのですが、「みんながいないと困る」という“関わり”を感じる経験はありませんでした。
 しかし、新型コロナウィルス感染拡大の問題をきっかけに、私は「周りに人がいることの有難さ」と「周りの人が自分に与えてくれる力」に気づくことができました。
 まず、「周りに人がいる有難さ」についてです。全国一斉休校によって日頃何気なく受けていた授業がなくなったと同時に、私が意外にも一番強く感じたのは、「休み時間がない」ということです。毎日学校へ行き、授業を受けると、次の授業との間に10分間の休み時間があったのですが、改めて考えてみると私はその10分の間にいつも友達と会話をかわしていたのです。内容は特別なものではなく、「疲れたね。」とか「次が楽しみだね。」などというものでした。もちろん、私はそれを特別なことだと感じたことはありませんでした。
 しかし、特別だと感じていないというのは、むしろ、それが“日常の一部”になっていたということなのです。その10分間は、思った以上に大切な時間であり、知らず知らずの間に私に安らぎや、癒しを与えてくれていたのです。
 次に、「周りの人が自分に与えてくれる力」については、先程「日頃何気なく受けている授業」と言いましたが、そこにあります。私は正直、授業が面倒に感じることはあっても、授業が始まる前に席に着かないということはありませんでした。それは、なぜなのか。そう、そこには周りの人がいたのです。一人ひとりが様々な思いを抱きつつも、次の授業が始まるから席に座る。ただそれだけの当たり前のような個の行動が、最終的には集団としての力に変わっていたのではないかと、私は思うのです。私は今まで、集中力は自分で高めるものだと思っていました。もちろん、自分で集中力をつくるのも大切なことです。しかし、本当に学校でつくられている集中力というのは、その場の環境、つまり周りの人の力によるものだと思うのです。授業中の集中力は、周りの人がいるからこそ、一人ひとりの中でつくられるものなのだと、今回、私は家庭で学習する中で強く感じました。
 この二つのことが、今回の社会の大きな動きの中で私が感じたことです。そして、同じように多くの人が、人と人との“関わり”についてつくづく考えさせられたことと思うのです。もしかしたら、寂しさを感じなかった人がいるかもしれません。しかし、“変化”を感じなかった人はいないはずです。私は、毎日当たり前のように取っていた行動が当たり前でなくなった瞬間、心にぽっかりと穴が空いたような感覚になりました。その穴には、「周りの人」という、ただそこにいるだけのようで、実は自分にとても多くの力を与えてくれる存在がありました。今回のことは、そのことに気付かせてくれる機会でもありました。
 私は、改めて「自分に周りの人が力を与えてくれている」ということを知りました。そして、私自身も、“周りの人”として存在しています。つまり、私は他の人に力を与えていて、そんな私の力に支えられている人がいる、ということになると思うのです。今までとは少し違った形とはいえ、学校が再開し、私はそのことを強く意識して学校生活を送っています。授業中に、授業の間の10分間の休みに、一体どんな“関わり”をつくることができるのだろうかと。
 みなさんは、これから自分が周りの人からどんな力を与えられ、またどんな力を与えることができるのか、思いつくでしょうか。それを考えることで、今の生活がより充実し、輝いてみえてくるのではないかと、私は思います。

優良賞

未来を問う
萩光塩学院中学校 3年 福嶋 沙衣

「なんで空は青いの?」「なんで海はしょっぱいの?」「なんで?」ひとつの「なんで」に答えれば、またすぐにその答えに対しての新たな「なんで」が飛んできます。6歳の妹の周りには、疑問がたくさん転がっているようで、その怒濤の「なんで攻撃」が収まることはありません。小さな子供の無邪気な好奇心。そんな素朴な疑問について、深く考えさせられることがありました。
 「神様に手紙を書くなら、皆さんはどんなものを書きますか。」ある日、国語の授業で言われました。神様への手紙。世界中の小さな子供たちが書いた、神様に対する気持ちをまとめた、1冊の本です。子供たちの真っ白で純粋な心が見えて、思わずクスッと笑ってしまうかわいいものもありました。先生に、「神様に聞いてみたいことや疑問、なんでも書いていいですよ。」と言われ、友達が思い思いに書く中、私の頭に初めに思い浮かんだのは、こんな疑問でした。「なぜお金や権力を持った大人ほど、戦争を起こしたり、悪事をはたらいたりするのか。」小さな子供の書くかわいい疑問とはあまりにもかけはなれた言葉に、思わず苦笑してしまったものです。「神様、なんで大人は戦争をするの?なんで大人はずるをしてまでお金をもらおうとするの?なんで大人は自然を壊すの?」私の神様への手紙です。何も考えずに初心に返ってみたとき、私の手紙は、「なんで大人は」から始まる文でいっぱいになっていました。まだ世の中について良く知らないただの子供の私がこんな偉そうなことを言っていいものかとも思いましたが、これが私の素直な気持ちなのだろうと思うと、なぜだかスッと納得してしまいました。もちろん限られたごく一部の大人の人に対してですが、やはり子供である私からすれば、ニュースで流れる悪事や事件の発端はすべて大人。お金のために立場を利用する、戦争をしてはいけませんと言いながらも戦争をする。現実では世界中で争いが起きています。言い方が悪くなりますが、こんなただの子供にも分かる善悪が、なぜ一部の大人の人たちには分からないのだろうと、嫌なニュースを見るたび、気づかないところで私のこの疑問はどんどん大きくなっていったのだと思います。しかし、いくら私たちがその大人に意見を述べようが、改善されるのは難しいことを、私は理解しています。平和な世界は誰もが望むもの。私の発言でもしそれが叶うのなら、私と同じ考えを持った力のある大人がそれを実現しているはずです。私たち子供は大人に導いてもらわなければ生きていくことすらできないのですから、大人にできないこと、あるいは大人のすることを覆せないのは、当たり前でもあります。
 では、そんな私たちができることとは何か。そう考えたときに私の頭に一番に浮かんだことは、「問う」ということです。なんで空は青いのか、なんで海はしょっぱいのか、なんで戦争は終わらないのか。ただひたすら、6歳の保育園児のように問う。今中学3年生の私は、それなりに世の中についても学び、一歩ずつ大人に近づいています。大人になるということは、空気を読むことや、場合によっては自分の中で生まれた疑問を抑えることも必要になります。しかし、一度心を真っ白にして素朴な疑問と向きあったとき、それまでとは180度違った景色を見ることができるはずです。
 私は、神様への手紙という形で、自分の本音を見つけました。言ってしまえばこの疑問を見つけたからといって、今この現状は何一つ変わっていないし、解決もしていません。だからこそ悩み考えて、その先に待つ答えにたどりついたとき、それぞれの望む自分らしい未来が待っているのだと思います。現状に不満があるのなら、自分の手で未来を作っていけば良いのです。一生かけても答えの出ない疑問もあると思います。もし答えを見つけたとしても、またすぐに新たな疑問と衝突することでしょう。無邪気な子供が何度も聞いてくるように、それに終わりなどないからです。あと少し経てば、今度は私自身が子供たちから見る「大人」になります。私が未来を見せる側になるのです。だからこそ私たちは、「なんで?」と問い続けなければいけません。その素朴な「なんで?」が、数年後、妹が書く神様への手紙を、幸せなものにしてくれるはずです。

優良賞

挑戦―私にできること―
山口県立高森みどり中学校 3年 橋本 笑和

2020年2月27日、安倍晋三首相が全国の学校に休校を要請しました。私は、その約3ヶ月の休校期間中、一体何をすれば良いのか分かりませんでした。そんな時、母が言ってくれました。
「こんな時だからこそ、新しいことに挑戦してみれば良いんじゃない?」
と。私は「挑戦」を今年の目標としていたので、よし、何かやってみようと決意しました。
そして何に挑戦しようか、と悩んでいたとき、父が、
「田んぼの手伝いしてくれん?」
と言ってきました。私は毎年父や祖母が田を耕したり、田に水を入れたりして、苦労しながらも家族のためにお米を作っている姿を見てきました。けれど、今までは勉強や部活が忙しくてなかなか手伝うことができませんでした。だから、良い機会だと思って田んぼの整備などを手伝うことにしました。
まずは、田んぼの隅の土をスコップを使って掘るという作業に挑戦しました。始めたはいいものの、田んぼの土は私が思っていたより何十倍も重く、固くてなかなか進みませんでした。父が一日で終わらすものを兄と二人がかりで約1週間かかりました。毎日、筋肉痛の日々が続き、田植え以前にもこんなに大変なことをしないといけないんだと実感しました。お米を作るということの本当の大変さとは何か、を考える機会になりました。
私の家の田んぼは父によるとずっと昔からあるそうです。現在は、トラクターなどの機械があるので少しは楽になったと思いますが、昔は全て手作業だったと思います。昔の人たちは、今の私たちには計り知れないほどの苦労を重ねてきたことでしょう。だから、苦労しながらもここまで引き継がれてきた米作りを私たちが終わらせるわけにはいかないと強く思いました。今、私たちが食べている、おいしいおいしいお米は当たり前ではなく、今までにたくさん苦労してきた人たちがいるからこそのお米だと知ることができました。毎年5月頃には田植え、そして9月、10月頃には稲刈りがあります。今回の1回きりで終わるのではなく、これからも自分にできることをしっかりとし、少しでも家族を助けたいと思います。
私は休校期間中、田んぼの手伝いという一つのことに挑戦しましたが、そこで気づかされたものはいくつもあります。米作りを手作業でやることの大変さ、今まで田んぼを引き継いできた方々の思い、毎日の食事のありがたみなど、本当に多くのことを学びました。私にできることは新しいことに挑戦することだと気づき、実行したことでこの結果を得られたのです。
新型コロナウイルスの影響で辛い思いをしている人もいると思います。しかし、そんな中でも父や母のように世の中のために尽くしている人はたくさんいます。だから、また困難がやってきた時には、そのような人たちを少しでも助けてあげられるようにすることが私たちにできることだと思います。今回のようなピンチを前向きに捉え新しいことに挑戦すれば、たくさんのことを得ることができ、自分自身も成長することができました。休校期間中の自分の生活を振り返り、辛い時はもちろん、日常生活にも生かし毎日が成長の日々にすることが大事なのではないでしょうか。
新型コロナウイルス感染症は、まだまだこれからも続いていくと思います。第2波がやってきたとき、休校になることも予想されるのですが、私は、その時間を使ってもっと農業のことを調べてみたいと思っています。
父が農作業を終えたとき、田んぼから一羽の鷺が飛び立ちました。最後に国語の授業で学んだ俳句を添えて私の主張を終わります。
代掻きを鷺と一緒に終える父

優良賞

“繋がる”こと
上関町立上関中学校 2年 三浦 優紀

「みなさん、お変わりないですか?」
CDプレーヤーの誤操作で偶然聞こえたラジオの第一声。パーソナリティーの優しい口調にひかれ、ラジオを聞き続けた。山口弁で笑わせてくれたり、気遣いのある言葉に癒されたり。心地よい温もりがゆっくりと私の心を包み込んでいった。
 外出自粛で誰もがそれまでの暮らしができなくなった。私の学校も休校になった。友達とはSNSの会話だけ。部活も買い物もできない。心がモヤモヤしていた。そんな時に耳に入ったラジオの声。紹介される便りを聞きながら「あぁ、みんな同じように過ごしているんだ。」と安心した。見えない相手と繋がっている気がした。それからは時間があればラジオを聞いていた。
 ある日、「感染も恐いが不自由な生活による『心の病、被害』はもっと深刻だ」と、一人の評論家が発言していた。離れて住む両親が気がかりだけど、帰省できない40代の主婦、大学受験に合格したのにバイトも授業も始まらない学生、公園や家の外で遊べない都市部の小学生達。私より心がモヤモヤしているリスナーはたくさんいた。誰もが自分の気持ちを押し殺していた。
 私に何かできることはないだろうか。そうだ、まずは、自分が「心の病、被害」にならない方法を考え、実践してみよう。そう決意して2ヶ月半。毎日を前向きな気持ちで過ごせている。私が取り組んでいる三つの方法を紹介したい。
 一つめは、コロナに関する知識を身につけ正しい予防をすること。目に見えず、どこで感染するかわからないウイルスは本当に怖い。でも正しい対処をすれば不要な不安に陥らないはず。SNSにしか挙がらない情報は疑った方が良い。自分の経験から思う。
 二つめは、自分なりのストレス発散方法を見つけること。私は好きなダンスを練習し2曲踊れるようになった。努力をして何かを成し遂げるのは気持ちがいい。自分に少し自信がもてるようになった。今は3曲目に挑戦中だ。
 三つめは、人を悪く言わないこと。連休中に県外ナンバーの車が家の近くに止めてあった。母に告げると、
「どうしようもない事情があるかもしれんじゃ。人を悪く言うと心が曇るよ。」と諭された。自分の心の狭さを見せつけられたようだった。少しでも不満を言わず感謝できることを見つけていきたい。イヤなことは心の中にゴミ箱を作って、そこにポイすることにした。心の中が、嬉しいとか楽しいとかプラスの感情で満たされるように心掛けたい。
 先日、私達の学校に、町の社会福祉協議会の方からマスクが届けられた。また、地元のレストランからプリンがプレゼントされた。嬉しかった。人の優しさが温かかった。私たちを気にかけてくださる方がいる。私は一人じゃない。やっぱり自分は社会と繋がっている、そう感じた。
 あの時、ラジオの一声に出会わなければ、見知らぬ相手を気遣うこともなかったし、繋がることの大切さにも気付けなかっただろう。いつか、私なりの「心の病、被害」予防法と、多くのリスナーと繋がることができたお礼を、ラジオに届けたい。誰かとまた新しい繋がりが生まれることを期待して。
 現在、このウイルスと闘い、苦しんでいる方がいる。一方、学校、会社、家とそれぞれの持ち場で、この苦境を乗り越えようと皆が努力、工夫している。さまざまな取組を見聞きしながら「人間ってすごいな」と思う。歴史をみても災害や飢饉など痛ましい事柄が起こると、人はそこから何かを学び、知恵を出し、改善してきた。必ずこの窮地から脱して新しいステップに進めると信じて、未来からの視点で自分を見つめていきたい。


 

令和元年度少年の主張コンクール山口県大会
2021/09/14
R1年度少年の主張コンクール
R1年度少年の主張コンクール
最優秀賞(県知事賞)

自分が自分でいられる環境
萩市立萩東中学校 2年 後藤 遙香

「歌を歌うのが恥ずかしい。」
そんな言葉を聞いた生徒総会。それを聞いて、私はこのままではいけないと思いました。
 これは、先日の生徒総会で、「校歌の声を大きくするには」という議題について全校で話し合っていたときのことです。
 私の学校では、毎月の生徒集会で校歌を歌います。最近は、全校生徒で歌うときの声が小さく、先生に声をかけていただいたり、生徒会役員を中心に何度もやり直しをしたりして、やっと声が出るという状態でした。そこに課題を感じた生徒から、今年の生徒総会の議題として提案されたのです。
 そもそも校歌とは、その学校の象徴であり、在籍した生徒一人ひとりが、世代を超えてつながることのできる貴重な歌です。
 校歌を歌うのは生徒なら当たり前のこと。そう思う人がいるかもしれません。しかし、私には「恥ずかしい」と思う人の気持ちがよく分かります。それは、私の心の中にも、体裁を取り繕い、本来の自分を隠してしまいたくなる気持ちが潜んでいるからです。
 私は小学生の頃から、人の前に立つことが好きでした。ところが、そんな私のことをよく思っていない人がいました。その人たちからすると、ぽっちゃりで、自分よりかわいくなくて、運動もできない。そんな私が学校で数人しか選ばれない生徒会役員に選ばれたことに納得いかない気持ちがあったのでしょう。それを知り、私は何度も落ち込みました。逃げ出したい気持ちにもなりました。
 それでも、私が今も人前に立つことを好きでいられるのは、仲間と共に挑戦する楽しさ、仲間と一つのことを達成する喜びを体験する機会に恵まれたからです。だからこそ、その楽しさや喜びを、「歌うのが恥ずかしい」と声を出せずにいる人たちにも感じてほしい。そう思いました。
 学校とは、互いを認め合い、一人ひとりが成長していくところです。しかし、「声を出すこと」を怖がるというのは、「失敗したら恥ずかしい。」そんな「自分の声を出すこと」に不安をもって過ごしているということです。歌が上手ではなくても、私は誰もがのびのびと声を出すことができる学校にしていきたいと思います。「みんなと違う」と自分を隠してしまうのではなく、むしろ一人ひとりの違いを活かし合える。一人ひとりの声が響き合う校歌。一人ひとりの声で作られる学校。こうして、色とりどりのカラフルな「個性」が生まれてくるのではないでしょうか。
 私は、性格だけでなく、その人の境遇や思いも個性だと思います。現在、髪を伸ばし、メイクをしてモデルをしている男性がいます。その人は、中学生くらいの頃から、女の子の格好が好きだったそうです。しかし、同級生の男子に「気持ち悪い」と言われ、髪を切ったり、男らしくしたりして、周りの男子に追いつこうと必死だったそうです。そんな時に母親から言われた言葉。
「自分のやりたいことをやりなよ。」
この言葉で自分らしく生きていけるように変わることができたそうです。このエピソードから、自分を認めてくれる環境や仲間には、自分自身を変える力があることを感じました。
 私は、生徒会役員という貴重な体験をしています。友達や家族、先生、生徒会役員の仲間が、成功すれば共に喜び、課題が見つかれば、解決に向けて自分のことのように悩んでくれます。だからこそ私は、自分のできることを精一杯実践していくことができるのです。
 今、私が心がけていきたいことは、「みんなで楽しむ」ということです。緊張していたり、怖がっていたりする人に無理に自分たちの思いを押しつけても、理解してはもらえません。楽しむ姿を見てもらい、私たちの学校を誰もが一緒に楽しめる空間にしていきたいのです。先日の生徒集会では、生徒会役員が手をつなぎ、校歌を楽しんで歌う姿を見てもらいました。その後の校歌斉唱では、これまでに聞いたことがないくらい、大きな歌声が体育館に響き渡りました。でも、これは第一歩です。安心して自分の声が出せる場所に。自分が自分でいられる場所に。誰もが自分を認め、互いの個性を活かせる環境づくりに、仲間と共に、私は挑戦していきます。

優秀賞(県教育長賞)

心のバリア
下関市立文洋中学校 3年 星野 香菜

 「障害者差別解消法」
 初めてこの言葉を耳にしたとき、私は衝撃を受けました。このような法律があること、にではありません。このような法律を作らなければならないほど、「障害者にとって生きづらい社会であった。」ということにです。
 「バリアフリー」という言葉があるように、この世界には障害者にとって様々なバリアがあると思います。段差や様々な人が行きかう歩道。トイレや狭い道。私達にとって小さなことでも、障害者にとって大きな壁となるバリアはたくさんあるのではないでしょうか。体の障害や心の障害。様々な障害がある中、点字ブロックや手すり、段差にスロープを渡すなど、一度街を歩けば「誰もが等しく利用できる」ように、様々なアイディアがはりめぐらされた温かい街が広がっています。私はそんな温かい私達の街を、この国を、とても誇りに思います。
 しかし、障害者にとって一番大きな壁となるのは、段差やトイレでしょうか。せまい道や歩道でしょうか。私はきっと、障害のある人に対して、差別や偏見などの気持ちを抱く、「心のバリア」だと思います。
 かくいう私も、少し前までは、障害者に対して心のバリアを持っていました。
 3年前まで私の通っていた小学校には、障害のある男の子がいました。「怖い。」それが私が彼に抱く印象でした。そんな彼はいつも一人ぼっち。まだまだ幼かった私には、クラスメイト達には、それが障害で、仕方のないことだ、と言われても納得できませんでした。小学校5年生の頃、悲しそうな目で去っていった彼を忘れた日はありません。
 それから中学校に入って卓球を始め、市のスポーツクラブに入りました。世代の違う様々な人達との交流は、私のせまかった視野を広げるキッカケとなりました。クラブに入って半年経った頃、ボランティアの募集がかかり、障害者の方の卓球大会にお手伝いとして参加しました。そこで私が目にしたのは、自分らしくキラキラと輝きながら卓球をする、そんな障害者の方達でした。足がなくても、自分が勝ったかどうか分からなくても、キラキラした眩しい笑顔で、卓球というスポーツを純粋に楽しんでいる。そんな姿に私の心のバリアはどこかに消えていました。
 「相手らしさ」を認めること。それがきっと障害のある人に対して私達が抱く心のバリアを取り除けるたった一つの方法だと思います。足がなくても、勝ったかどうか分からなくても、急に怒りだしても。それがその人の個性であり、私達はそれを認め支えあうべきである。そんな当たり前のことに、彼と、スポーツクラブを通じたボランティアのおかげで気づくことができました。
 では、「相手らしさ」を認めるために、私にできることは何だろう、と考えたとき、他の人と比べ、差別しない、とか、その人の見た目や言動だけで、その人自身を判断しないなど、様々なことが挙げられます。その中で私は、「自分らしさ」を認めることが、一番の近道だと考えます。最近、「どうせ私はスポーツが苦手だから」とか「どうせ僕は成績が悪いから」という言葉をよく耳にします。「どうせ私なんて」と自分を、「自分らしさ」を認められないかぎり、「相手らしさ」を認めるのは難しいと思います。私自身、「自分らしさ」を認められず、転校していった彼の「彼らしさ」を認めることができなかったから。だからきっと、「自分らしさ」を認めることも、「相手らしさ」を認めることと同じ位大切だと思います。
 「障害者差別解消法」
 この法律のように、障害者への差別を解消するため、私達にできることは、「共に生きるすべての人が心のバリアから解放され、相手らしさ、そして自分らしさを認めあう」ということだと思います。そしてこれが、障害者の方々だけでなく、すべての人にとって生きやすい社会作りへとつながっていくのではないでしょうか。
 バリアフリー化が進む中、大きなバリアとなっている「心のバリア」を取り除き、誰もが「今」を精一杯生きることができる。私にできることは小さいかもしれない。それでも私は一歩ふみだす。一人でも多くの人の心のバリアを取り除くために。

優秀賞(県民会議会長賞)

「学活の時間、僕に分けてくれませんか。」
周南市立菊川中学校 3年 西村 泰紀

「先生、僕は実現させたいことができました。協力してもらえませんか。」
それは、母が何気なく言ったこんな言葉がきっかけだった。「ねぇ、赤ちゃんの時にお父さんに抱っこしてもらったことや高い高いをしてもらったこと覚えてる?」母の手元のアルバムには、父の頭上で満面の笑みで宙を舞っている赤ちゃんの僕。そして父は2本の足でしっかりと立っていた。しかし悲しいことに僕の記憶の中では、幼い時から父は既に車椅子だった。原因は良い免疫細胞が悪い免疫細胞に間違われて攻撃を受けてしまう難しい病気。幸い命にかかわる病ではないが、何度も再発を繰り返し同じ箇所が傷つくことで父は足が不自由になってしまった。その度に入院や長期のリハビリを強いられ、僕は小学校の頃、母と2人で過ごすことが多かったのも納得できた。
今、僕達は家族が揃っていて幸せだ。しかし父が障害を負ってからは、簡単なことが難しくなり不自由さや不便さをたくさん抱えているとも正直思う。悲しいことや悔しいことも山ほどある。家族で気軽に旅行もできなくなった。楽しみにして出かける祭りや花火大会などへはなかなか行くことができない。昔人混みで迷惑そうにされたことは僕達の少しのトラウマでもある。スーパーでは利用されないかのように隅っこに置かれている車椅子。催し物のホールでは荷物運搬用の暗いエレベーターに車椅子ごと皆で載せられた。障害者用の駐車場から平気で出てくる元気な人を見かけると、父が車に乗っている時は余計に腹が立つ。バリアフリーといってもまだまだ言葉だけで広く伝わっていないと感じる。
僕が幼稚園の頃、お迎えは祖母の担当だった。父が自宅に戻ってからは、父も車椅子で一緒にやってきた。僕が車椅子の横に立つと、同じ位の背丈で並んでゆっくりと家に帰った。母は僕がいじめられたりしないだろうかと、いつもびくびくしながら僕達を見守っていた。母と出場することが多かった運動会はよそのお父さんに負けまいと母は全力を出し過ぎて僕をよく傷だらけにしたそうだ。そんな母が最後の運動会に父を出した。僕は少し嫌がったみたいだが、杖をついた父を先導する僕の写真がアルバムには収められている。トラックの外側では母の友達が大声で声援を送ってくれたと聞いた。その後母はさらけ出すことを知り、周りの人達に救われ励まされ、泣いて笑って強くなったと教えてくれた。
病気になって良かったと語った水泳の池江璃花子選手、父は決して同じようには言えないが、感謝する心は比べられない程前より大きくなったと口にしていた。僕の中学校では、先生方がいつも父のことを気にかけてくれる。それに、母の心配をよそに僕は今まで友達に父のことで嫌なことを言われたことは一度もない。僕達は本当に恵まれた家族だ。こんな家族のことを発信するのは僕の勇気が必要だったが、両親の何事にも負けない強い心に憧れている。僕も強くなりたい。
今年、中学最後の運動会が待っている。
「親子競技に父さんと出てみようと思う。」今度は自分の意思で言った。僕と父は凸凹なので、どんな風にできるか分からないけど、皆に相談してみよう。僕の我ままに皆をつきあわせることになるけど、皆なら分かってくれるはず、だから勇気を出してきちんと話をしてみようと思う。
誰もが分かりあえる世の中に、支え支えられる世の中になるように、心のバリアフリーがもっともっと広がるように願いながら……だから「先生、学活の時間、僕に分けてくれませんか。」

優良賞

世代を超えて共に生きる
萩市立萩東中学校 2年 濱 そら

 皆さんは、世代の違いによる考え方の違いに悩んだことはありませんか。
 私には尊敬する祖母がいます。いつもひまわりの花のように明るく、優しい祖母を見て、そういう人になりたいと思っていました。ところがある日、そんな穏やかな祖母を怒らせてしまう出来事があったのです。
 私は中学生になったとき、祖母の家に引っ越しました。祖母の家には、「くうちゃん」という猫がいました。もともと一人暮らしだった祖母は、その猫を本当の家族のように大切にしていました。私も大事に思っていました。しかしある日、「くうちゃん」が私の通学カバンや靴を排泄物で汚してしまったのです。突然の出来事に私は許せない気持ちになりました。しばらく「くうちゃん」をリビングから出し、入れないように閉め切りました。そのときのことです。私が朝ご飯を食べようとすると、祖母が起きてきて、強い口調で私に言いました。
「そんな動物をいじめるような子大嫌い。」
そう言われ、私は強いショックを受けました。祖母にそのような言葉を言われるのは初めてのことだったからです。
 祖母は介護の仕事をしており、家に帰るのは遅いときが多いです。それでも、仕事に対して愚痴をこぼしたり、人のことを悪く言ったりしませんでした。そんな祖母が大好きで祖母と話したり出掛けたりするのを楽しみにしていました。まさに自慢の祖母だったのです。しかし、「くうちゃん」のことがあってから、祖母は私と口をきいてくれなくなりました。そのうち、私は祖母のことを悪く言うようになっていったのです。そして、「自分は悪くない」、「どうしてそれぐらいで怒るんだろう」と思うようになりました。
 祖母との生活の中での心のすれ違い。それから約2週間程たったとき、父と母に、
「同じ家に住んでいる家族なのに、話もしないのはどうなの?」
と言われました。私は自分が悪いと言われているみたいで嫌でした。寂しくて嫌になりましたが、直接謝るのはとても勇気がいることでした。いろいろな理由を付け、謝ることを避けていたのです。けれども、これではいつまでもこのままだと思い、ある日、父と一緒に祖母の部屋に行くことにしました。
 祖母は仕事から帰ってきたばかりでした。久しぶりに祖母の顔を見た私は、急に怖くなりました。それでも、私は祖母に自分の思いを知ってほしいと、思い切って話し始めると、「ばあちゃんね、そらから謝ってもらうの、待っとったんよ。そらには思いやりの気持ちを学んでほしかったんよ。ばあちゃん、ひどかったね。ごめんね。」
私は涙が溢れました。私が悪いのに、何度も謝る祖母。やはり祖母は相手思いの自慢の祖母だと改めて思いました。
 祖母との出来事で、私は少し考え方が変わりました。当たり前のことですが、私たちは、生まれた年も生まれた場所も全てが違う、自分とは違う考え方をもつ人たちと出会います。人と人が出会えば、時には共感し、時にはすれ違います。しかし、ふれ合う中でこそ、お互いの配慮の足りないところに気付いたり、相手の本当の気持ちを理解したりできるのではないのでしょうか。
 最近では、私たちはインターネットをよく使います。その中で、私は人と人との考え方の違いをよく感じることがあります。どんな人か分からないから簡単に傷つけるような言葉を使ってしまうことや、他の人の意見に流され、相手に自分の考え方を押しつけてしまうことがあります。顔が見えないコミュニケーション。それだから言えることもあるけれど、どこか思いやりを感じることが少なくなってきたように思います。本当にそれでいいのでしょうか。
 相手の思いを考えずに傷つけたり、傷ついたりするのではなく、相手を思い、思われる温かい社会に。人との関わりやふれ合いは、生きる力を与えてくれます。祖母に教えてもらった、世代を超えた心の通い合い。思いを言葉にして伝えることによって生まれる、心のともしび。この世界がもっと温かい光で溢れる。そんな世界になるように、諦めず、人と関わり続けていきたいです。

優良賞

「仕事の意味」
下松市立久保中学校 3年 佐々木 成道

 小学6年生の時に僕は先生から緑化委員に任命されました。そして、委員会でのみんなの後押しもあって、緑化委員長になりました。
 緑化委員の仕事は、花を植えたり、そのための土を作ったりと、小学生だった僕にとっては、地味で面倒くさいものでした。中でも、特に嫌だったのは、毎日しなければいけない花の水やりです。水やりのために、僕の貴重な昼休みが短くなることが度々ありました。僕はグラウンドで楽しそうに遊んでいる友だちを横目で見ながら、「なんでこんな意味のない無駄な仕事なんかに時間を使わなくてはいけないんだ。」といつも思っていました。
 そんな日が続いたある日、毎日靴を汚して帰る僕に気づいた母から「どうしたの。」と尋ねられました。僕は、「緑化委員の仕事で、靴に泥がついて汚れるんだ。」と答えました。さらに、「地味で意味のない仕事をするのは疲れるよ。」と付け加えました。すると母は、「意味がないことはないよ。きっとだれかの役に立っているんだから。」と言いました。僕は自分の考えが否定されたような気がして、むっとしました。それでその日はもうその話をしませんでした。
 緑化委員長になって3ヶ月が過ぎた頃のことです。ある日、唐突に先生から「いつもありがとう。」と言われました。僕は何のことか分からずに「何のことですか。」と尋ねました。すると先生が、「佐々木さんたちがいつも花を育ててくれているおかげで、学校が明るくなっているよ。」と言われました。僕はこの時、「はっ」としました。意味も需要もないと思っていた活動が、人のためになっていると気付かされたからです。また、同時に母の言っていたことも思い出しました。「意味のない仕事はない」と。それからの僕は、緑化委員の仕事に張り合いが持てるようになりました。それと同時に、あれ程面倒くさいと感じていた仕事を楽しめるようになりました。そしてこの仕事に誇りがもてるようになったのです。
 あれから2年たち、中学生になった僕は今、美化委員長として活動しています。花の水やりの他、学校内の環境整備がおもな仕事です。あいかわらず花の水やりはあります。でも、あの時仕事の意味に気付いたおかげで、嫌々ではなく毎日楽しく活動しています。
 ある日のこと、いつものように水やりをしていた僕は、後輩から「先輩はこんな面倒くさい仕事、嫌じゃないんですか。」と聞かれました。僕は「誰かの役に立っていると思うと、やりがいを感じるし、嬉しくない?」と返しました。すると、後輩は、「確かにそうですね。やる意味があると考えたらやる気になりますね。」とにこやかに言いました。
 僕は美化委員会の仕事を通して大切なことを学びました。意味のない仕事なんて存在しないということです。どんな活動も、やらされるという思いで嫌々やるとその活動の意味に気づけません。しかし、自分の意識を変えて、その活動が誰かの役に立つとか、それをもっとよりよくしようと考えて取り組むと楽しくなり、その仕事は大きな意味を持ってきます。仕事の意味は、人から与えられるものではなく、自分で気づくものでした。
 もう一つ僕が気づいたことがあります。それは自分が楽しく活動すると、周りも楽しくなるということです。嫌々仕事をしている人を見るのは気持ちのよいものではありません。一生懸命楽しみながらやると、その空気は周りの人を包み込み、より楽しい雰囲気になります。
 どんな仕事も、進んで一生懸命やるうちに楽しめるようになる、ということを僕は発見しました。美化委員長の任期はもうあと半年しかありません。みんなが明るく楽しい学校生活が送れるよう、僕は校内の環境美化に、楽しみながら一生懸命取り組んでいきます。

優良賞

「人とうまく付き合っていくには」
周南市立熊毛中学校 3年 岸田 帆乃佳

 誰かの言葉や行動に、嬉しくなったり悲しくなったり、笑ったり泣いたりとそんな経験はありませんか。「言葉」というのは、自分の気持ちを相手に伝えることができる素晴らしいものです。しかし、言葉の選択を間違えると相手を傷つけたり簡単に嫌な気持ちにさせたりしてしまうこともできます。私が、そんな言葉と相手への伝わり方について考えるきっかけになった出来事を書こうと思います。
 私は陸上競技部に所属しています。陸上は大会や記録会、合同練習などが多くあり、中学生や高校生、指導して下さる先生やコーチなど、幅広い年齢の人と関わる機会があります。そんな中で私が難しいなと感じたことは考え方の違う相手との関わり方です。
 世の中には、様々な考え方をもった人がいます。3年生になって知り合いも増え、人間関係が広がった今、自分と考え方の違う人達ともうまく付き合っていかなければなりません。しかし、言葉を通じて互いの思いを伝え合い、理解し合うということは簡単なようで、すごく難しいことです。これまで、専門種目の練習をしていく中で自分と指導者との考え方の相違や、言葉が原因で分かり合えなかったことがあります。相手にうまく思いを伝えるにはどうすれば良いか…。それは、「言葉の使い方」です。
 私が言葉の使い方について考えさせられたのは、職場体験です。私は小学校で1年生を担当させていただきました。約7歳も年の離れた子と接することは普段ないので、始めは少し戸惑いもありました。けれど、私はその2日間でたくさんのことを学び、成長することができました。子供達と接する中で一番大切だと思ったことは、一度相手の立場に立って物事を考えてから発言するということです。授業などで1年生が分からない問題があるとします。その説明をする時、先生は1年生が分かる言葉を選んで使い、ジェスチャーを加えたり例えを出したりしてできる限り丁寧に分かりやすくなるような工夫をされていました。一方的に自分の意見を言うのではなく、相手の目線に立ち自分の思いを具体的な言葉を使って表現することで、相手に伝わりやすくなるのではないでしょうか。
 また、私が気になっていることは「言葉の捉え方」の違いです。よくライン等のSNSで、言葉の捉え方の違いや相手が見て辛くなるような発言をし、友達間でけんかが起きたり、最悪いじめにつながったりするという話を聞いたことはありませんか。私もつい先日、目上の方からラインで言われた言葉で深く落ち込んでしまうことがありました。冗談半分に言った一言かもしれません。人によっては軽く受け流すこともできるでしょう。SNSで簡単に、家にいながら文字の送受信によって便利に会話ができるようになった現在、より一層その使い方について考える必要があると思います。相手の表情や話し口調が全くわからない分、さらに慎重に言葉を選ぶべきではないでしょうか。
 中学校の最高学年となり、下級生にアドバイスしたり自分の意見を言ったりすることも多くあります。そんな時、一度頭で、これで良いのかと確認してから発言する。「それができていないからダメ」と言うのではなく、「こうしたらもっと良くなる」など、言い方次第で相手の捉え方も変わると思います。
 これからも、あらゆる考えの人達や異なる年齢の人達と関わってゆくことになります。その人、その場に合った適切な言葉を判断し、使える人になりたいです。
 また、言葉による誤解を招いたり誰かを不快な気持ちにさせたりすることがないよう、一人一人が常に意識して毎日を過ごさなければなりません。そうすることでよりよい人間関係をつくることができると思います。

優良賞

「身近にある深刻な問題」
萩光塩学院中学校 3年 廣谷 月香

私は、新聞やテレビで自殺や殺人などのニュースをよく目にします。そのような悲しい事件を見ると、胸を痛めずにはいられなくなります。同時に、私は自殺のニュースを見る度に「自殺を止めてあげることはできなかったのか。」と思ってしまいます。最近、少しずつ日本の自殺者数が減ってきているようです。それはとても良いことなのですが、私が問題だと思うのは子供の自殺者が増えていることです。平成30年では568人も自殺しています。なぜ自ら命を絶つ悲劇が繰り返されているのでしょう。その理由として、学校関係の問題が挙げられ、勉強や不登校など問題は様々ですが、いじめを苦にした自殺が後を絶ちません。みんな私と同じくらいの年齢で、まだまだしたいことや将来の夢など、輝かしい未来が待っていたでしょう。それが、いじめによって奪われてしまうなんて絶対にあってはいけないと思います。だから、どうしたら身近で起きているこのような出来事を世の中から無くすことができるか考えてみました。
 まずは、一人で悩まずに親に伝えて学校に相談することが大切だと思います。学校は、いじめにあっていることをはっきり伝えないと動いてはくれません。これは妹の件で良く分かりました。私の妹は、クラスでいじめを受けていました。毎日休まずに学校に行っていましたが、きっと一人で辛く悲しい思いをしていたのだと思います。妹は勇気を出して私達に伝えてくれたので、母が学校に相談しに行って改善されましたが、もし言っていなかったら今も辛い状態のままだったでしょう。
 しかし、「親に心配をかけたくない」という気持ちから事実を言い出せない人も少なくないと思います。そのような人のために、いじめアンケートの配布やスクールカウンセラーの先生、24時間子どもSOSダイヤルなどがあります。自殺に追い込まれてしまった人達は、「誰も自分のことを助けてくれるはずがない」「皆に迷惑をかけるだけだ」というひどい孤立感や、「私なんかいないほうがいい」「生きていても仕方がない」といった無価値観を感じて危険な心理状態に陥ってしまうそうです。そこから救い出してあげるためには、話をじっくり聞いてあげることが一番だと思います。先日、私は素晴らしい記事を見つけました。それは、一人の女性によって女子高生が自殺を思いとどまったということです。その女性は、自殺しようとしている少女に声をかけ、親身に悩みを聞いてあげて抱きしめたそうです。見ず知らずの子にそこまでできるなんて、本当に尊敬しました。また、この女性のような人がもっと増えていってほしいと強く思いました。そして、私も困っている人や助けが必要な人にそっと手を差し伸べられる人になりたいと思います。
 いじめをなくすことは、はっきり言って難しいことだと思います。いじめられた子の死ではいじめを止めることはできないし解決もできません。ですから、いじめられたら勇気を出して助けを求め、周りの人はいじめている人を見かけたら注意し、いじめられている子の力になってあげることが必要だと思います。
 これから先も、いじめやいじめによる自殺を防ぐために、社会や私達一人一人に何ができるのか、それぞれが意識して過ごしていかなければならないのです。

優良賞

「守れない命はない」
周南市立福川中学校 2年 茅原 望愛

最近、頻繁にニュースから聞こえてくる言葉「児童虐待。」 「またか……。」と思う一方で、こんなに当たり前のように起こっていい出来事ではないはずなのに……と思う。児童虐待はなぜ減らないのか。ましてや、自分の血を分けたかけがえのない子供である。どうかしている。一番守ってくれるはずの親がひどい行為をするなんて、私は信じられない。
もし、自分の子がケガをしたり病気になったりしたら、どんな気持ちになるのだろうか。考えただけで切ないし、中学生の私でもこんな心配な気持ちになってしまうのに……。
私の母親はどうなんだろうと思った。私は特別なことがない限り、母とお風呂に入っている。中学生になる前から、自分にもいろいろと悩みも出てきて、親との口数も減ってきた。だから、このお風呂で一緒に過ごす時間は、母と唯一、内緒話のようなことができる貴重な時間になっている。 
その時に、母にもどう思うか聞いてみたことがある。私は弟と年子で、母は働いていたので、育児は本当に大変だったそうだ。イライラしたことも毎日のようにあったそうだ。けれど、大変だということ以上に自分の子は大切で、育児から得るものがたくさんあったと言った。それを聞いて、育児をしているのはつらそうにも聞こえるが、そんなことは決してないと思った。親が子供を育てるということは、当たり前のことなのだ。
しかし、最近はその当たり前のことができなくなっているのだ。「なぜなのだろう」という思いがつのるばかりだった。
事件の中のいくつかは、児童相談所の介入があったにもかかわらず、もう少し早ければ助かった命もあったのにという思いだけがむなしく心に残ったものもある。
「自分の子供なんだから、何をしてもいい。」という人もいるけれど、子供も基本的人権を持つ一人の人間。そんなことを考えない親が増えてきているということは、現代社会の何かがおかしくなってきているのではないかという気がする。
私が母と話していて思ったのは、周りの協力が不可欠だということ。周りの人が手伝ってあげなくても、話を聞いてあげるだけで、大変さは軽減されるのではないか。虐待している親だけを責めても、この問題は解決しない気がする。その親がどうして虐待するようになったのか、親のほうにも手を差し延べないとダメだと思う。そして、人は頼ることも大切だと感じた。虐待というのはそんな簡単な問題ではないかもしれないけれど、初めから虐待しようと思って産む人はいないのではないかと思う。
今回、虐待についての記事を読んで思ったことは、今までは、虐待についてのニュースを見ていても可哀想にというぐらいにしか思っていなかった。母親がどんな気持ちで虐待をしているかなんて考えたことがなかった。
児童相談所に相談してもなかなか動いてくれないなどと聞くと腹が立つし、命を救うために、もっと必死になってほしい。そういう機関の数をもっと増やしてほしいと思った。
「アノネ 
親は子供をみているつもりだけれど 
子供はその親をみているんだな
親よりもきれいなよごれない眼でね」
これは、相田みつをさんの詩の一部だ。私は自分が大人になった時、恥じない大人でいたいと思う。
虐待という問題は決して軽々しいものではない。ましてや育児をしたことのない私がすべてを分かっているわけでもない。しかし、その行為は私にとって許しがたい行為だ。子育ては楽ではない。そんなことを改めて考えさせられた。
子供を産むだけでは、本当の意味の親にはなれない。子供たちの笑顔が奪われることのない明るい世界になってほしいと思う。「守れない命はない。」私達一人一人が周りに目を向け、気をつけることで守れる命があることを社会全体も知ってほしい。


 

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草原
やまぐち子育て連盟 http://yamaguchi-kosodate.net
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