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山口県青少年育成県民会議

 
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令和2年度 少年の主張コンクールについて
2021/09/14
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最優秀賞 後藤 遥香 さん
最優秀賞(県知事賞)

私にだってできたのだから
萩市立萩東中学校 3年 後藤 遙香

 あなたには、こんなことはありませんか。悩んでいて、一歩も動けない。辛くて、怖くて、どこからも光が差し込んでこない。暗闇に一人でうずくまっているようなこと。
 私の小学校は少人数で、何をするにも、そばには友達がいて、やってみたいことを素直に言える環境で過ごしてきました。しかし、中学校生活は、そう簡単にはいきませんでした。三つの小学校から集まった、大きな集団。そんな中で起こった出来事。それは、私が私であることを許さない、数々の冷たい行為でした。小学校の時のようにやりたいことに挑戦していた私は、不意に腕をつねられたり、陰口を言われたりするようになったのです。
 皆さんは、考えたことがありますか。同じ学年、同じクラスの中で、立場の違いを感じる苦しみを。同じ学年の中で、目立っても何も言われない人がいます。彼らは「陽キャ」と呼ばれ、学年の主役のような存在です。運動ができ、見た目も良く、言いたいことも臆することなく言うことができます。その反対に、「陰キャ」と呼ばれる人は、いつも脇役で、目立つことが許されない雰囲気でした。
 私が所属していた部活にも、同学年なのに気を使わなければいけない空気が生まれていました。「陽キャ」となった友達の態度は次第に変わり、私も変わっていきました。
「もし逆らったら、どうなるんだろう。」
そんなことばかりが頭をよぎり、してはいけないことをしたり、嫌ないじられ方をしても笑って過ごしたりするようになりました。そんなときのことです。
「転部すればいいじゃん。」
友達からのなにげない一言が、前を向くのを諦めていた私の心を動かしたのです。
「このままの私でいたくない。」
先生の助言により私は再出発を決意しました。
 次の一歩は、生徒会執行部としての活動でした。そんな私に、相変わらず「陰キャ」としての冷たい扱いや陰口があり、何もしない方が楽かと思う時もありました。けれども、何度も落ち込みそうになる私の目の前には、学校を変えるために、学年や性別を超え、なりふり構わず一生懸命に行動する先輩たちがいました。全校の難しい課題にもひるむことなく、前向きに活動する先輩たちがいたのです。先輩たちと行動を共にするうちに、私は気が付きました。私自身が「陽キャ」や「陰キャ」といった「作られた枠組み」に縛られ、動けなくなっていたということに。
「私にもできることがあるかもしれない。」
私の世界は大きく変わり始めました。
 今年度の生徒会のテーマは、挨拶の向上です。挨拶のあふれる学校にしたい。これが今年度の私たちの挑戦です。執行部でアイデアを出し合って考えたのが、「止まって挨拶する止まペコ、座っていても立ち上がって挨拶する立ちペコ、人前を横切る時に黙礼する前ペコ」です。これを広めるため、生徒集会での劇を企画しました。ところが、新型コロナウィルスの感染拡大予防のため、全校での集会はできません。そこで、学年を分け、3回にわたって同じ劇を繰り返しました。私たちの思いを受け、今では挨拶を進んで行う、挨拶マスターも現れるようになりました。「3ペコ」が私たちの合言葉です。私たちはきっと挨拶革命を起こしてみせます。
 応援してくれる人がいるから。悩んでいる人がいるから。私は立ち止まるわけにはいきません。「作られた枠組み」で苦しんでいる人に。想いを殺し、動けなくなっている人に。この思いを届け、その心に温かいともしびが生まれることを願います。人と人の間を隔てる「枠組み」など、もともとありはしないのです。一人ひとりの人間がいて、一人ひとりに揺れ動く心があるのです。諦めなければ、きっとできる。私にだってできたのだから。

優秀賞(県教育長賞)

「当たり前の有り難さ」
下松市立久保中学校 3年 西田 俊太郎

僕は、5歳の頃から剣道を習っています。今は剣道部に所属しながら、地域の道場にも通っています。しかし、今回の新型コロナウィルスの影響で3月から道場での稽古や、部活動が中止になっています。いつ再開されるか全く分かりません。
 元々剣道は、僕自身が望んで始めたのではなく、小さい頃はいつも泣きながら稽古をしていたそうです。いろいろな偶然が重なり、習い始めて今年で10年になります。正直に言うと、剣道が好きなのかどうか分かりません。夏は汗だくになり、目に入った汗を拭うことも出来ないし、冬は足の感覚がなくなるほど寒いのです。打たれたときの痛み、厳しい先生。そして、どんなに稽古しても、僕は決して特別強い選手ではないのです。「何で剣道をやっているのだろう。」と思うこともしばしばです。剣道は中学生限りで止めようと思い、それを親に宣言したこともありました。
 そんな中、新型コロナウィルスの影響で、2月末に突然の休校宣言がありました。その時は、正直に言って嬉しかったです。僕は疲れていて休みたかったからです。実際、最初の数日はとても快適でした。日中、親は仕事で不在なので、勉強もそこそこに、テレビやゲーム。寝たいときに寝てごろごろする。もちろん剣道もなく、完全に剣道から切り離された生活を送りました。自由でゆったりとした時間が流れました。そして、もうこのまま、部活動は引退するかもしれないという思いも頭をよぎりました。
 しかし、休校がたびたび延長になり、しかも先が見えないことで不安を感じるようになりました。登校できないこと、友達に会えないことも不安だったけれど、なぜか一番に頭に浮かんだのは剣道のことでした。
 「いつになったら剣道ができるのだろう。」
いつしか僕はそう考えていました。もう剣道は止めようと思っていたのに、気が付けば僕は剣道のことを考えていました。剣道の仲間のこと、稽古のこと、試合のこと。剣道が好きかどうかも分からなかったのに、剣道は僕の中で、なくてはならないものになっていたのです。
 当たり前だと思っていた日常が当たり前ではなくなったときに、初めて当たり前の大切さに気づくのかもしれません。今回の件で僕はそれを思い知りました。当たり前の日常がいとも簡単に崩れていく。それがいつまで続くか分からない。僕は絶望的な
気持ちになり、当たり前だと思っていた日々を思い出すと、涙がこみ上げてきました。
 ある晴れた日に、外で素振りをしてみました。久しぶりに持った竹刀は重く感じましたが、竹刀を振ると「ビュン」といい音がしました。少し嬉しくなりました。「ちゃんと毎日素振りをすれば良かった。面倒くさがらずに、試合でなくても、防具を着けなくても、剣道をする方法は、他にもあるじゃないか。」僕はそんなことも忘れていたようです。久しぶりの素振りはとても気持ちのよいものでした。晴れた空のように、僕の気持ちも晴れて気持ちを切り替える機会になりました。
 今、当たり前の日々の有り難さを実感しています。こんなことがなければ気付かなかったかもしれません。有り難いという字は「有ることが難しい。」と書きます。それに気づいたときはっとしました。当たり前の日々は実はとても奇跡のような日々だったのです。
 これからどんな困難な状況になろうと、僕は今できることに精一杯取り組みたいと思います。過去を振り返るより、前を向いて歩こう。今自分にできることを一生懸命やろう。穏やかな日々に感謝し、下を向かず笑って歩こう。もし、当たり前の日常が戻ってきたら、その時は当たり前の有り難さを忘れずに、僕は日々を大切に生きていこうと思います。

優秀賞(県民会議会長賞)

「自分を見つめ直せた時間」
下松市立久保中学校 3年 寺島 瑠珠

小さい頃の自分は漠然と子どもが好きだから保育士になろうと考えていました。しかし、今は看護師になりたいと強く思うようになりました。それは、あることがきっかけでした。
祖父は今、介護施設に入所しています。ちょうど1年前の今頃、祖父は脳梗塞で倒れました。命を取りとめたものの、自由に体を動かすことが出来ない状態になりました。その間、医師や看護師さんたちが懸命に治療や看護に当たってくださいました。意識がない中も笑顔で話しかけてくださったり、少しでも体が動かせるようにリハビリの支援をしてくださったり。その献身的な姿に私は驚き、本当に感動しました。そのおかげもあり、今祖父はリハビリを経て、施設に移ることができました。そこでも看護師さんの優しい笑顔の中で日々生活しています。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。そして、患者さんやその家族のために働く看護師さんの姿を見て、私も看護の道を志すようになったのです。
さらに、看護士を志す私の気持ちをいっそう強くしたのは母の姿でした。母は看護師です。人工透析という部署で働いています。人工透析とは、血液をきれいにする働きを腎臓に代わって機械で行う治療法で、治療しなければ命にかかわります。そして、新型コロナウィルスに感染すると重症化するリスクが高いといわれる病気です。だから母は自分が感染して患者さんにうつしてはいけないと、毎日緊張感の中で生活しています。また、私たち家族にも心を配り、行動を促してくれます。母は一時も気を抜くことが出来ない緊張の毎日で、とても疲れていると思います。でも、母は一歩外に出ると、きっと患者さんには一杯の笑顔で接していると思います。なぜなら母は私にいつも患者さんとの会話を楽しそうに聞かせてくれるからです。また、時々買い物で患者さんに出会って母が嬉しそうに話している姿を見ることがあります。患者さんも楽しそうです。母にとって、患者さんの幸せが自分の幸せなんだと思います。そんな母の姿を見ると、私も幸せな気持ちになります。
新型コロナウィルスが流行する今、医療従事者が偏見の目で見られ、その家族まで差別されることがあると耳にします。胸が痛くなります。こんなに患者さんのことを思って一生懸命向き合っている母の姿を日々目にしているからこそ、心ない言葉に傷つきます。
しかし、医療従事者やその家族にとって嬉しいこともあります。それは医療従事者へのエールを送るいろいろな活動です。感謝の気持ちを新聞広告に載せたり、拍手で表したり。建物を青く照らして感謝の気持ちを表す活動もあります。医療従事者は、それを目にすると、どんなに辛くてもまた頑張ろうという気持ちになれるのだと思います。
どんなに世の中が進化しても、人を支えるのは人しかありません。お互いが周囲の人に感謝しながら、自分が出来ることで誰かを支えていく。それができればみんなが幸せになれるのではないでしょうか。誰かを責めるのではなく、互いに励まし合う、そんな社会になればと思います。
今も母は朝早く出勤し、家事育児をしながら看護師をしています。そして、一日の終わりに、「今日も何事もなく無事に帰れて嬉しい。」とほっとした表情で口にします。大変そうですが、人の役に立つことに喜びを感じている母の姿は、本当にかっこいいと思います。
今回、新型コロナウィルスの流行をきっかけとして、自分の将来についてじっくり考えることができました。尊敬する母の背中を毎日目にしながら、私は今、看護師になりたいという気持ちを強くしています。辛い病気を抱える人、悲しい思いをしている人の力に少しでもなれるよう、夢に向かって一歩ずつ前進していきたいと思います。

優良賞

「自分だけ」の使い方
下関市立文洋中学校 3年 濱田 まつり

歩道の隅に点々と見える煙草のかす達、自販機の横に溢れかえっている空き缶、青々と茂る草達の真ん中に見えるお菓子の袋。
 ある日一人が道の隅に隠すようにゴミを投げる。またある日一人がそのゴミと並べるようにゴミを投げる。そんな日が何日も繰り返され、ある日その道を通った人の目がそこらに点々と目立つゴミ達をとらえ気分を害す。
 別にゴミを投げていった人達も誰かを嫌な気持ちにしてやろうなんて考えはないと思う。また「みんなでここにゴミを増やそう」という考えもない。ただただ、みんな、ここにはあまりゴミがないから少しだけなら大丈夫から始まり、ここならもうたくさんゴミがあるから自分もいいかなという気持ち。あるいは何も考えず平気でそこにゴミを投げる。しかしほとんどの人達は「ポイ捨ては良い行いではない」と分かっているはずだ。なのに何故歩道の隅にゴミをみつけてしまうのだろう。
 それはきっと「自分だけなら」という気持ちがたくさんの人の中にあるからだと思う。道を歩く人たち全員がそこら中ゴミを棄てたら大変なことになるのは分かっているけれど、みんな自分だけならと思ってしまいその気持ちがたくさん集まり、結局「自分だけ」のつもりが気づけば「たくさんの人」になって、あのゴミの塊を作ってしまうのだろう。
 この「自分だけなら」という気持ち。私も含めほとんどの人が持ち合わせているのではないだろうか。もちろんその大きさはみんな違って、自分だけならと思ってしまっても歯止めをかけ我慢する人。逆に自分をどんどん甘やかしてついには人を傷つけてしまう人。
 私は世の中に起こる「犯罪」も「自分だけなら」という気持ちからきたものもあるのではと考えた。テレビで見た万引きGメン。私はそんなに簡単に万引きする人が見つかるのかなと思っていたが、誰にも見られていないか確認しながら棚の商品をそっと鞄の中に入れてしまう人は結構いて、少し驚いた。そして、「何故万引きをしてしまうんだろう」と考えた。万引きするのにどんな理由があるのだろう。遊び半分でしてしまう人もいると思う。とても生活に困ってやむをえず商品を鞄に入れてしまう人もいると思う。だけど逆に万引きしていた人が自分の物を勝手に盗られたら、怒り出すと思う。つまり万引きも相手を考えない「自分だけなら」という気持ちから始まってしまっているのだと思う。
 では、どうしたら「自分だけ」を防いでいけるのだろうか。多分、「自分だけ」という気持ちは誰もの中にあり完全にふたをするのは難しいと思う。でも「自分だけ」という考えは全て悪いということはないと思う。「自分だけ」のあとに「なら」をつけてしまうからダメな方向に進んでしまうのではないだろうか。だとしたら「自分だけでも」という考えに置き換えてはどうだろう。例えば、そこで人が泣いている。自分一人ではどうしようもない。「自分だけなら」無視しても変わらない。でも、「自分だけでも」側によりそえたら安心してくれないかな…。
 道にゴミが放棄されている。「自分だけなら」別にいいよねという気持ちでたまっていったゴミ達。それを「自分だけでも」ゴミを拾おう!という人が現れたら。
 こういう風に「自分だけなら」と思ってしまう自分勝手な嫌な気持ちを、「自分だけでも」という前向きな広い心に置き換えられたら。「自分だけでも側にいてあげよう」「自分だけでもゴミを拾っていこう」というふうにみんなが考え出したら……。きっとこの社会は、もっともっと良い方向へ動き出せるのだと私は思う。

優良賞

周りの人から、自分から
萩市立むつみ中学校 3年 森田 遼

みなさんは、自分と人との“関わり”について強く考えたことがありますか。
私は今まで、「みんながいて良かった」という“関わり”を感じることはあったのですが、「みんながいないと困る」という“関わり”を感じる経験はありませんでした。
 しかし、新型コロナウィルス感染拡大の問題をきっかけに、私は「周りに人がいることの有難さ」と「周りの人が自分に与えてくれる力」に気づくことができました。
 まず、「周りに人がいる有難さ」についてです。全国一斉休校によって日頃何気なく受けていた授業がなくなったと同時に、私が意外にも一番強く感じたのは、「休み時間がない」ということです。毎日学校へ行き、授業を受けると、次の授業との間に10分間の休み時間があったのですが、改めて考えてみると私はその10分の間にいつも友達と会話をかわしていたのです。内容は特別なものではなく、「疲れたね。」とか「次が楽しみだね。」などというものでした。もちろん、私はそれを特別なことだと感じたことはありませんでした。
 しかし、特別だと感じていないというのは、むしろ、それが“日常の一部”になっていたということなのです。その10分間は、思った以上に大切な時間であり、知らず知らずの間に私に安らぎや、癒しを与えてくれていたのです。
 次に、「周りの人が自分に与えてくれる力」については、先程「日頃何気なく受けている授業」と言いましたが、そこにあります。私は正直、授業が面倒に感じることはあっても、授業が始まる前に席に着かないということはありませんでした。それは、なぜなのか。そう、そこには周りの人がいたのです。一人ひとりが様々な思いを抱きつつも、次の授業が始まるから席に座る。ただそれだけの当たり前のような個の行動が、最終的には集団としての力に変わっていたのではないかと、私は思うのです。私は今まで、集中力は自分で高めるものだと思っていました。もちろん、自分で集中力をつくるのも大切なことです。しかし、本当に学校でつくられている集中力というのは、その場の環境、つまり周りの人の力によるものだと思うのです。授業中の集中力は、周りの人がいるからこそ、一人ひとりの中でつくられるものなのだと、今回、私は家庭で学習する中で強く感じました。
 この二つのことが、今回の社会の大きな動きの中で私が感じたことです。そして、同じように多くの人が、人と人との“関わり”についてつくづく考えさせられたことと思うのです。もしかしたら、寂しさを感じなかった人がいるかもしれません。しかし、“変化”を感じなかった人はいないはずです。私は、毎日当たり前のように取っていた行動が当たり前でなくなった瞬間、心にぽっかりと穴が空いたような感覚になりました。その穴には、「周りの人」という、ただそこにいるだけのようで、実は自分にとても多くの力を与えてくれる存在がありました。今回のことは、そのことに気付かせてくれる機会でもありました。
 私は、改めて「自分に周りの人が力を与えてくれている」ということを知りました。そして、私自身も、“周りの人”として存在しています。つまり、私は他の人に力を与えていて、そんな私の力に支えられている人がいる、ということになると思うのです。今までとは少し違った形とはいえ、学校が再開し、私はそのことを強く意識して学校生活を送っています。授業中に、授業の間の10分間の休みに、一体どんな“関わり”をつくることができるのだろうかと。
 みなさんは、これから自分が周りの人からどんな力を与えられ、またどんな力を与えることができるのか、思いつくでしょうか。それを考えることで、今の生活がより充実し、輝いてみえてくるのではないかと、私は思います。

優良賞

未来を問う
萩光塩学院中学校 3年 福嶋 沙衣

「なんで空は青いの?」「なんで海はしょっぱいの?」「なんで?」ひとつの「なんで」に答えれば、またすぐにその答えに対しての新たな「なんで」が飛んできます。6歳の妹の周りには、疑問がたくさん転がっているようで、その怒濤の「なんで攻撃」が収まることはありません。小さな子供の無邪気な好奇心。そんな素朴な疑問について、深く考えさせられることがありました。
 「神様に手紙を書くなら、皆さんはどんなものを書きますか。」ある日、国語の授業で言われました。神様への手紙。世界中の小さな子供たちが書いた、神様に対する気持ちをまとめた、1冊の本です。子供たちの真っ白で純粋な心が見えて、思わずクスッと笑ってしまうかわいいものもありました。先生に、「神様に聞いてみたいことや疑問、なんでも書いていいですよ。」と言われ、友達が思い思いに書く中、私の頭に初めに思い浮かんだのは、こんな疑問でした。「なぜお金や権力を持った大人ほど、戦争を起こしたり、悪事をはたらいたりするのか。」小さな子供の書くかわいい疑問とはあまりにもかけはなれた言葉に、思わず苦笑してしまったものです。「神様、なんで大人は戦争をするの?なんで大人はずるをしてまでお金をもらおうとするの?なんで大人は自然を壊すの?」私の神様への手紙です。何も考えずに初心に返ってみたとき、私の手紙は、「なんで大人は」から始まる文でいっぱいになっていました。まだ世の中について良く知らないただの子供の私がこんな偉そうなことを言っていいものかとも思いましたが、これが私の素直な気持ちなのだろうと思うと、なぜだかスッと納得してしまいました。もちろん限られたごく一部の大人の人に対してですが、やはり子供である私からすれば、ニュースで流れる悪事や事件の発端はすべて大人。お金のために立場を利用する、戦争をしてはいけませんと言いながらも戦争をする。現実では世界中で争いが起きています。言い方が悪くなりますが、こんなただの子供にも分かる善悪が、なぜ一部の大人の人たちには分からないのだろうと、嫌なニュースを見るたび、気づかないところで私のこの疑問はどんどん大きくなっていったのだと思います。しかし、いくら私たちがその大人に意見を述べようが、改善されるのは難しいことを、私は理解しています。平和な世界は誰もが望むもの。私の発言でもしそれが叶うのなら、私と同じ考えを持った力のある大人がそれを実現しているはずです。私たち子供は大人に導いてもらわなければ生きていくことすらできないのですから、大人にできないこと、あるいは大人のすることを覆せないのは、当たり前でもあります。
 では、そんな私たちができることとは何か。そう考えたときに私の頭に一番に浮かんだことは、「問う」ということです。なんで空は青いのか、なんで海はしょっぱいのか、なんで戦争は終わらないのか。ただひたすら、6歳の保育園児のように問う。今中学3年生の私は、それなりに世の中についても学び、一歩ずつ大人に近づいています。大人になるということは、空気を読むことや、場合によっては自分の中で生まれた疑問を抑えることも必要になります。しかし、一度心を真っ白にして素朴な疑問と向きあったとき、それまでとは180度違った景色を見ることができるはずです。
 私は、神様への手紙という形で、自分の本音を見つけました。言ってしまえばこの疑問を見つけたからといって、今この現状は何一つ変わっていないし、解決もしていません。だからこそ悩み考えて、その先に待つ答えにたどりついたとき、それぞれの望む自分らしい未来が待っているのだと思います。現状に不満があるのなら、自分の手で未来を作っていけば良いのです。一生かけても答えの出ない疑問もあると思います。もし答えを見つけたとしても、またすぐに新たな疑問と衝突することでしょう。無邪気な子供が何度も聞いてくるように、それに終わりなどないからです。あと少し経てば、今度は私自身が子供たちから見る「大人」になります。私が未来を見せる側になるのです。だからこそ私たちは、「なんで?」と問い続けなければいけません。その素朴な「なんで?」が、数年後、妹が書く神様への手紙を、幸せなものにしてくれるはずです。

優良賞

挑戦―私にできること―
山口県立高森みどり中学校 3年 橋本 笑和

2020年2月27日、安倍晋三首相が全国の学校に休校を要請しました。私は、その約3ヶ月の休校期間中、一体何をすれば良いのか分かりませんでした。そんな時、母が言ってくれました。
「こんな時だからこそ、新しいことに挑戦してみれば良いんじゃない?」
と。私は「挑戦」を今年の目標としていたので、よし、何かやってみようと決意しました。
そして何に挑戦しようか、と悩んでいたとき、父が、
「田んぼの手伝いしてくれん?」
と言ってきました。私は毎年父や祖母が田を耕したり、田に水を入れたりして、苦労しながらも家族のためにお米を作っている姿を見てきました。けれど、今までは勉強や部活が忙しくてなかなか手伝うことができませんでした。だから、良い機会だと思って田んぼの整備などを手伝うことにしました。
まずは、田んぼの隅の土をスコップを使って掘るという作業に挑戦しました。始めたはいいものの、田んぼの土は私が思っていたより何十倍も重く、固くてなかなか進みませんでした。父が一日で終わらすものを兄と二人がかりで約1週間かかりました。毎日、筋肉痛の日々が続き、田植え以前にもこんなに大変なことをしないといけないんだと実感しました。お米を作るということの本当の大変さとは何か、を考える機会になりました。
私の家の田んぼは父によるとずっと昔からあるそうです。現在は、トラクターなどの機械があるので少しは楽になったと思いますが、昔は全て手作業だったと思います。昔の人たちは、今の私たちには計り知れないほどの苦労を重ねてきたことでしょう。だから、苦労しながらもここまで引き継がれてきた米作りを私たちが終わらせるわけにはいかないと強く思いました。今、私たちが食べている、おいしいおいしいお米は当たり前ではなく、今までにたくさん苦労してきた人たちがいるからこそのお米だと知ることができました。毎年5月頃には田植え、そして9月、10月頃には稲刈りがあります。今回の1回きりで終わるのではなく、これからも自分にできることをしっかりとし、少しでも家族を助けたいと思います。
私は休校期間中、田んぼの手伝いという一つのことに挑戦しましたが、そこで気づかされたものはいくつもあります。米作りを手作業でやることの大変さ、今まで田んぼを引き継いできた方々の思い、毎日の食事のありがたみなど、本当に多くのことを学びました。私にできることは新しいことに挑戦することだと気づき、実行したことでこの結果を得られたのです。
新型コロナウイルスの影響で辛い思いをしている人もいると思います。しかし、そんな中でも父や母のように世の中のために尽くしている人はたくさんいます。だから、また困難がやってきた時には、そのような人たちを少しでも助けてあげられるようにすることが私たちにできることだと思います。今回のようなピンチを前向きに捉え新しいことに挑戦すれば、たくさんのことを得ることができ、自分自身も成長することができました。休校期間中の自分の生活を振り返り、辛い時はもちろん、日常生活にも生かし毎日が成長の日々にすることが大事なのではないでしょうか。
新型コロナウイルス感染症は、まだまだこれからも続いていくと思います。第2波がやってきたとき、休校になることも予想されるのですが、私は、その時間を使ってもっと農業のことを調べてみたいと思っています。
父が農作業を終えたとき、田んぼから一羽の鷺が飛び立ちました。最後に国語の授業で学んだ俳句を添えて私の主張を終わります。
代掻きを鷺と一緒に終える父

優良賞

“繋がる”こと
上関町立上関中学校 2年 三浦 優紀

「みなさん、お変わりないですか?」
CDプレーヤーの誤操作で偶然聞こえたラジオの第一声。パーソナリティーの優しい口調にひかれ、ラジオを聞き続けた。山口弁で笑わせてくれたり、気遣いのある言葉に癒されたり。心地よい温もりがゆっくりと私の心を包み込んでいった。
 外出自粛で誰もがそれまでの暮らしができなくなった。私の学校も休校になった。友達とはSNSの会話だけ。部活も買い物もできない。心がモヤモヤしていた。そんな時に耳に入ったラジオの声。紹介される便りを聞きながら「あぁ、みんな同じように過ごしているんだ。」と安心した。見えない相手と繋がっている気がした。それからは時間があればラジオを聞いていた。
 ある日、「感染も恐いが不自由な生活による『心の病、被害』はもっと深刻だ」と、一人の評論家が発言していた。離れて住む両親が気がかりだけど、帰省できない40代の主婦、大学受験に合格したのにバイトも授業も始まらない学生、公園や家の外で遊べない都市部の小学生達。私より心がモヤモヤしているリスナーはたくさんいた。誰もが自分の気持ちを押し殺していた。
 私に何かできることはないだろうか。そうだ、まずは、自分が「心の病、被害」にならない方法を考え、実践してみよう。そう決意して2ヶ月半。毎日を前向きな気持ちで過ごせている。私が取り組んでいる三つの方法を紹介したい。
 一つめは、コロナに関する知識を身につけ正しい予防をすること。目に見えず、どこで感染するかわからないウイルスは本当に怖い。でも正しい対処をすれば不要な不安に陥らないはず。SNSにしか挙がらない情報は疑った方が良い。自分の経験から思う。
 二つめは、自分なりのストレス発散方法を見つけること。私は好きなダンスを練習し2曲踊れるようになった。努力をして何かを成し遂げるのは気持ちがいい。自分に少し自信がもてるようになった。今は3曲目に挑戦中だ。
 三つめは、人を悪く言わないこと。連休中に県外ナンバーの車が家の近くに止めてあった。母に告げると、
「どうしようもない事情があるかもしれんじゃ。人を悪く言うと心が曇るよ。」と諭された。自分の心の狭さを見せつけられたようだった。少しでも不満を言わず感謝できることを見つけていきたい。イヤなことは心の中にゴミ箱を作って、そこにポイすることにした。心の中が、嬉しいとか楽しいとかプラスの感情で満たされるように心掛けたい。
 先日、私達の学校に、町の社会福祉協議会の方からマスクが届けられた。また、地元のレストランからプリンがプレゼントされた。嬉しかった。人の優しさが温かかった。私たちを気にかけてくださる方がいる。私は一人じゃない。やっぱり自分は社会と繋がっている、そう感じた。
 あの時、ラジオの一声に出会わなければ、見知らぬ相手を気遣うこともなかったし、繋がることの大切さにも気付けなかっただろう。いつか、私なりの「心の病、被害」予防法と、多くのリスナーと繋がることができたお礼を、ラジオに届けたい。誰かとまた新しい繋がりが生まれることを期待して。
 現在、このウイルスと闘い、苦しんでいる方がいる。一方、学校、会社、家とそれぞれの持ち場で、この苦境を乗り越えようと皆が努力、工夫している。さまざまな取組を見聞きしながら「人間ってすごいな」と思う。歴史をみても災害や飢饉など痛ましい事柄が起こると、人はそこから何かを学び、知恵を出し、改善してきた。必ずこの窮地から脱して新しいステップに進めると信じて、未来からの視点で自分を見つめていきたい。


 

令和元年度少年の主張コンクール山口県大会
2021/09/14
R1年度少年の主張コンクール
R1年度少年の主張コンクール
最優秀賞(県知事賞)

自分が自分でいられる環境
萩市立萩東中学校 2年 後藤 遙香

「歌を歌うのが恥ずかしい。」
そんな言葉を聞いた生徒総会。それを聞いて、私はこのままではいけないと思いました。
 これは、先日の生徒総会で、「校歌の声を大きくするには」という議題について全校で話し合っていたときのことです。
 私の学校では、毎月の生徒集会で校歌を歌います。最近は、全校生徒で歌うときの声が小さく、先生に声をかけていただいたり、生徒会役員を中心に何度もやり直しをしたりして、やっと声が出るという状態でした。そこに課題を感じた生徒から、今年の生徒総会の議題として提案されたのです。
 そもそも校歌とは、その学校の象徴であり、在籍した生徒一人ひとりが、世代を超えてつながることのできる貴重な歌です。
 校歌を歌うのは生徒なら当たり前のこと。そう思う人がいるかもしれません。しかし、私には「恥ずかしい」と思う人の気持ちがよく分かります。それは、私の心の中にも、体裁を取り繕い、本来の自分を隠してしまいたくなる気持ちが潜んでいるからです。
 私は小学生の頃から、人の前に立つことが好きでした。ところが、そんな私のことをよく思っていない人がいました。その人たちからすると、ぽっちゃりで、自分よりかわいくなくて、運動もできない。そんな私が学校で数人しか選ばれない生徒会役員に選ばれたことに納得いかない気持ちがあったのでしょう。それを知り、私は何度も落ち込みました。逃げ出したい気持ちにもなりました。
 それでも、私が今も人前に立つことを好きでいられるのは、仲間と共に挑戦する楽しさ、仲間と一つのことを達成する喜びを体験する機会に恵まれたからです。だからこそ、その楽しさや喜びを、「歌うのが恥ずかしい」と声を出せずにいる人たちにも感じてほしい。そう思いました。
 学校とは、互いを認め合い、一人ひとりが成長していくところです。しかし、「声を出すこと」を怖がるというのは、「失敗したら恥ずかしい。」そんな「自分の声を出すこと」に不安をもって過ごしているということです。歌が上手ではなくても、私は誰もがのびのびと声を出すことができる学校にしていきたいと思います。「みんなと違う」と自分を隠してしまうのではなく、むしろ一人ひとりの違いを活かし合える。一人ひとりの声が響き合う校歌。一人ひとりの声で作られる学校。こうして、色とりどりのカラフルな「個性」が生まれてくるのではないでしょうか。
 私は、性格だけでなく、その人の境遇や思いも個性だと思います。現在、髪を伸ばし、メイクをしてモデルをしている男性がいます。その人は、中学生くらいの頃から、女の子の格好が好きだったそうです。しかし、同級生の男子に「気持ち悪い」と言われ、髪を切ったり、男らしくしたりして、周りの男子に追いつこうと必死だったそうです。そんな時に母親から言われた言葉。
「自分のやりたいことをやりなよ。」
この言葉で自分らしく生きていけるように変わることができたそうです。このエピソードから、自分を認めてくれる環境や仲間には、自分自身を変える力があることを感じました。
 私は、生徒会役員という貴重な体験をしています。友達や家族、先生、生徒会役員の仲間が、成功すれば共に喜び、課題が見つかれば、解決に向けて自分のことのように悩んでくれます。だからこそ私は、自分のできることを精一杯実践していくことができるのです。
 今、私が心がけていきたいことは、「みんなで楽しむ」ということです。緊張していたり、怖がっていたりする人に無理に自分たちの思いを押しつけても、理解してはもらえません。楽しむ姿を見てもらい、私たちの学校を誰もが一緒に楽しめる空間にしていきたいのです。先日の生徒集会では、生徒会役員が手をつなぎ、校歌を楽しんで歌う姿を見てもらいました。その後の校歌斉唱では、これまでに聞いたことがないくらい、大きな歌声が体育館に響き渡りました。でも、これは第一歩です。安心して自分の声が出せる場所に。自分が自分でいられる場所に。誰もが自分を認め、互いの個性を活かせる環境づくりに、仲間と共に、私は挑戦していきます。

優秀賞(県教育長賞)

心のバリア
下関市立文洋中学校 3年 星野 香菜

 「障害者差別解消法」
 初めてこの言葉を耳にしたとき、私は衝撃を受けました。このような法律があること、にではありません。このような法律を作らなければならないほど、「障害者にとって生きづらい社会であった。」ということにです。
 「バリアフリー」という言葉があるように、この世界には障害者にとって様々なバリアがあると思います。段差や様々な人が行きかう歩道。トイレや狭い道。私達にとって小さなことでも、障害者にとって大きな壁となるバリアはたくさんあるのではないでしょうか。体の障害や心の障害。様々な障害がある中、点字ブロックや手すり、段差にスロープを渡すなど、一度街を歩けば「誰もが等しく利用できる」ように、様々なアイディアがはりめぐらされた温かい街が広がっています。私はそんな温かい私達の街を、この国を、とても誇りに思います。
 しかし、障害者にとって一番大きな壁となるのは、段差やトイレでしょうか。せまい道や歩道でしょうか。私はきっと、障害のある人に対して、差別や偏見などの気持ちを抱く、「心のバリア」だと思います。
 かくいう私も、少し前までは、障害者に対して心のバリアを持っていました。
 3年前まで私の通っていた小学校には、障害のある男の子がいました。「怖い。」それが私が彼に抱く印象でした。そんな彼はいつも一人ぼっち。まだまだ幼かった私には、クラスメイト達には、それが障害で、仕方のないことだ、と言われても納得できませんでした。小学校5年生の頃、悲しそうな目で去っていった彼を忘れた日はありません。
 それから中学校に入って卓球を始め、市のスポーツクラブに入りました。世代の違う様々な人達との交流は、私のせまかった視野を広げるキッカケとなりました。クラブに入って半年経った頃、ボランティアの募集がかかり、障害者の方の卓球大会にお手伝いとして参加しました。そこで私が目にしたのは、自分らしくキラキラと輝きながら卓球をする、そんな障害者の方達でした。足がなくても、自分が勝ったかどうか分からなくても、キラキラした眩しい笑顔で、卓球というスポーツを純粋に楽しんでいる。そんな姿に私の心のバリアはどこかに消えていました。
 「相手らしさ」を認めること。それがきっと障害のある人に対して私達が抱く心のバリアを取り除けるたった一つの方法だと思います。足がなくても、勝ったかどうか分からなくても、急に怒りだしても。それがその人の個性であり、私達はそれを認め支えあうべきである。そんな当たり前のことに、彼と、スポーツクラブを通じたボランティアのおかげで気づくことができました。
 では、「相手らしさ」を認めるために、私にできることは何だろう、と考えたとき、他の人と比べ、差別しない、とか、その人の見た目や言動だけで、その人自身を判断しないなど、様々なことが挙げられます。その中で私は、「自分らしさ」を認めることが、一番の近道だと考えます。最近、「どうせ私はスポーツが苦手だから」とか「どうせ僕は成績が悪いから」という言葉をよく耳にします。「どうせ私なんて」と自分を、「自分らしさ」を認められないかぎり、「相手らしさ」を認めるのは難しいと思います。私自身、「自分らしさ」を認められず、転校していった彼の「彼らしさ」を認めることができなかったから。だからきっと、「自分らしさ」を認めることも、「相手らしさ」を認めることと同じ位大切だと思います。
 「障害者差別解消法」
 この法律のように、障害者への差別を解消するため、私達にできることは、「共に生きるすべての人が心のバリアから解放され、相手らしさ、そして自分らしさを認めあう」ということだと思います。そしてこれが、障害者の方々だけでなく、すべての人にとって生きやすい社会作りへとつながっていくのではないでしょうか。
 バリアフリー化が進む中、大きなバリアとなっている「心のバリア」を取り除き、誰もが「今」を精一杯生きることができる。私にできることは小さいかもしれない。それでも私は一歩ふみだす。一人でも多くの人の心のバリアを取り除くために。

優秀賞(県民会議会長賞)

「学活の時間、僕に分けてくれませんか。」
周南市立菊川中学校 3年 西村 泰紀

「先生、僕は実現させたいことができました。協力してもらえませんか。」
それは、母が何気なく言ったこんな言葉がきっかけだった。「ねぇ、赤ちゃんの時にお父さんに抱っこしてもらったことや高い高いをしてもらったこと覚えてる?」母の手元のアルバムには、父の頭上で満面の笑みで宙を舞っている赤ちゃんの僕。そして父は2本の足でしっかりと立っていた。しかし悲しいことに僕の記憶の中では、幼い時から父は既に車椅子だった。原因は良い免疫細胞が悪い免疫細胞に間違われて攻撃を受けてしまう難しい病気。幸い命にかかわる病ではないが、何度も再発を繰り返し同じ箇所が傷つくことで父は足が不自由になってしまった。その度に入院や長期のリハビリを強いられ、僕は小学校の頃、母と2人で過ごすことが多かったのも納得できた。
今、僕達は家族が揃っていて幸せだ。しかし父が障害を負ってからは、簡単なことが難しくなり不自由さや不便さをたくさん抱えているとも正直思う。悲しいことや悔しいことも山ほどある。家族で気軽に旅行もできなくなった。楽しみにして出かける祭りや花火大会などへはなかなか行くことができない。昔人混みで迷惑そうにされたことは僕達の少しのトラウマでもある。スーパーでは利用されないかのように隅っこに置かれている車椅子。催し物のホールでは荷物運搬用の暗いエレベーターに車椅子ごと皆で載せられた。障害者用の駐車場から平気で出てくる元気な人を見かけると、父が車に乗っている時は余計に腹が立つ。バリアフリーといってもまだまだ言葉だけで広く伝わっていないと感じる。
僕が幼稚園の頃、お迎えは祖母の担当だった。父が自宅に戻ってからは、父も車椅子で一緒にやってきた。僕が車椅子の横に立つと、同じ位の背丈で並んでゆっくりと家に帰った。母は僕がいじめられたりしないだろうかと、いつもびくびくしながら僕達を見守っていた。母と出場することが多かった運動会はよそのお父さんに負けまいと母は全力を出し過ぎて僕をよく傷だらけにしたそうだ。そんな母が最後の運動会に父を出した。僕は少し嫌がったみたいだが、杖をついた父を先導する僕の写真がアルバムには収められている。トラックの外側では母の友達が大声で声援を送ってくれたと聞いた。その後母はさらけ出すことを知り、周りの人達に救われ励まされ、泣いて笑って強くなったと教えてくれた。
病気になって良かったと語った水泳の池江璃花子選手、父は決して同じようには言えないが、感謝する心は比べられない程前より大きくなったと口にしていた。僕の中学校では、先生方がいつも父のことを気にかけてくれる。それに、母の心配をよそに僕は今まで友達に父のことで嫌なことを言われたことは一度もない。僕達は本当に恵まれた家族だ。こんな家族のことを発信するのは僕の勇気が必要だったが、両親の何事にも負けない強い心に憧れている。僕も強くなりたい。
今年、中学最後の運動会が待っている。
「親子競技に父さんと出てみようと思う。」今度は自分の意思で言った。僕と父は凸凹なので、どんな風にできるか分からないけど、皆に相談してみよう。僕の我ままに皆をつきあわせることになるけど、皆なら分かってくれるはず、だから勇気を出してきちんと話をしてみようと思う。
誰もが分かりあえる世の中に、支え支えられる世の中になるように、心のバリアフリーがもっともっと広がるように願いながら……だから「先生、学活の時間、僕に分けてくれませんか。」

優良賞

世代を超えて共に生きる
萩市立萩東中学校 2年 濱 そら

 皆さんは、世代の違いによる考え方の違いに悩んだことはありませんか。
 私には尊敬する祖母がいます。いつもひまわりの花のように明るく、優しい祖母を見て、そういう人になりたいと思っていました。ところがある日、そんな穏やかな祖母を怒らせてしまう出来事があったのです。
 私は中学生になったとき、祖母の家に引っ越しました。祖母の家には、「くうちゃん」という猫がいました。もともと一人暮らしだった祖母は、その猫を本当の家族のように大切にしていました。私も大事に思っていました。しかしある日、「くうちゃん」が私の通学カバンや靴を排泄物で汚してしまったのです。突然の出来事に私は許せない気持ちになりました。しばらく「くうちゃん」をリビングから出し、入れないように閉め切りました。そのときのことです。私が朝ご飯を食べようとすると、祖母が起きてきて、強い口調で私に言いました。
「そんな動物をいじめるような子大嫌い。」
そう言われ、私は強いショックを受けました。祖母にそのような言葉を言われるのは初めてのことだったからです。
 祖母は介護の仕事をしており、家に帰るのは遅いときが多いです。それでも、仕事に対して愚痴をこぼしたり、人のことを悪く言ったりしませんでした。そんな祖母が大好きで祖母と話したり出掛けたりするのを楽しみにしていました。まさに自慢の祖母だったのです。しかし、「くうちゃん」のことがあってから、祖母は私と口をきいてくれなくなりました。そのうち、私は祖母のことを悪く言うようになっていったのです。そして、「自分は悪くない」、「どうしてそれぐらいで怒るんだろう」と思うようになりました。
 祖母との生活の中での心のすれ違い。それから約2週間程たったとき、父と母に、
「同じ家に住んでいる家族なのに、話もしないのはどうなの?」
と言われました。私は自分が悪いと言われているみたいで嫌でした。寂しくて嫌になりましたが、直接謝るのはとても勇気がいることでした。いろいろな理由を付け、謝ることを避けていたのです。けれども、これではいつまでもこのままだと思い、ある日、父と一緒に祖母の部屋に行くことにしました。
 祖母は仕事から帰ってきたばかりでした。久しぶりに祖母の顔を見た私は、急に怖くなりました。それでも、私は祖母に自分の思いを知ってほしいと、思い切って話し始めると、「ばあちゃんね、そらから謝ってもらうの、待っとったんよ。そらには思いやりの気持ちを学んでほしかったんよ。ばあちゃん、ひどかったね。ごめんね。」
私は涙が溢れました。私が悪いのに、何度も謝る祖母。やはり祖母は相手思いの自慢の祖母だと改めて思いました。
 祖母との出来事で、私は少し考え方が変わりました。当たり前のことですが、私たちは、生まれた年も生まれた場所も全てが違う、自分とは違う考え方をもつ人たちと出会います。人と人が出会えば、時には共感し、時にはすれ違います。しかし、ふれ合う中でこそ、お互いの配慮の足りないところに気付いたり、相手の本当の気持ちを理解したりできるのではないのでしょうか。
 最近では、私たちはインターネットをよく使います。その中で、私は人と人との考え方の違いをよく感じることがあります。どんな人か分からないから簡単に傷つけるような言葉を使ってしまうことや、他の人の意見に流され、相手に自分の考え方を押しつけてしまうことがあります。顔が見えないコミュニケーション。それだから言えることもあるけれど、どこか思いやりを感じることが少なくなってきたように思います。本当にそれでいいのでしょうか。
 相手の思いを考えずに傷つけたり、傷ついたりするのではなく、相手を思い、思われる温かい社会に。人との関わりやふれ合いは、生きる力を与えてくれます。祖母に教えてもらった、世代を超えた心の通い合い。思いを言葉にして伝えることによって生まれる、心のともしび。この世界がもっと温かい光で溢れる。そんな世界になるように、諦めず、人と関わり続けていきたいです。

優良賞

「仕事の意味」
下松市立久保中学校 3年 佐々木 成道

 小学6年生の時に僕は先生から緑化委員に任命されました。そして、委員会でのみんなの後押しもあって、緑化委員長になりました。
 緑化委員の仕事は、花を植えたり、そのための土を作ったりと、小学生だった僕にとっては、地味で面倒くさいものでした。中でも、特に嫌だったのは、毎日しなければいけない花の水やりです。水やりのために、僕の貴重な昼休みが短くなることが度々ありました。僕はグラウンドで楽しそうに遊んでいる友だちを横目で見ながら、「なんでこんな意味のない無駄な仕事なんかに時間を使わなくてはいけないんだ。」といつも思っていました。
 そんな日が続いたある日、毎日靴を汚して帰る僕に気づいた母から「どうしたの。」と尋ねられました。僕は、「緑化委員の仕事で、靴に泥がついて汚れるんだ。」と答えました。さらに、「地味で意味のない仕事をするのは疲れるよ。」と付け加えました。すると母は、「意味がないことはないよ。きっとだれかの役に立っているんだから。」と言いました。僕は自分の考えが否定されたような気がして、むっとしました。それでその日はもうその話をしませんでした。
 緑化委員長になって3ヶ月が過ぎた頃のことです。ある日、唐突に先生から「いつもありがとう。」と言われました。僕は何のことか分からずに「何のことですか。」と尋ねました。すると先生が、「佐々木さんたちがいつも花を育ててくれているおかげで、学校が明るくなっているよ。」と言われました。僕はこの時、「はっ」としました。意味も需要もないと思っていた活動が、人のためになっていると気付かされたからです。また、同時に母の言っていたことも思い出しました。「意味のない仕事はない」と。それからの僕は、緑化委員の仕事に張り合いが持てるようになりました。それと同時に、あれ程面倒くさいと感じていた仕事を楽しめるようになりました。そしてこの仕事に誇りがもてるようになったのです。
 あれから2年たち、中学生になった僕は今、美化委員長として活動しています。花の水やりの他、学校内の環境整備がおもな仕事です。あいかわらず花の水やりはあります。でも、あの時仕事の意味に気付いたおかげで、嫌々ではなく毎日楽しく活動しています。
 ある日のこと、いつものように水やりをしていた僕は、後輩から「先輩はこんな面倒くさい仕事、嫌じゃないんですか。」と聞かれました。僕は「誰かの役に立っていると思うと、やりがいを感じるし、嬉しくない?」と返しました。すると、後輩は、「確かにそうですね。やる意味があると考えたらやる気になりますね。」とにこやかに言いました。
 僕は美化委員会の仕事を通して大切なことを学びました。意味のない仕事なんて存在しないということです。どんな活動も、やらされるという思いで嫌々やるとその活動の意味に気づけません。しかし、自分の意識を変えて、その活動が誰かの役に立つとか、それをもっとよりよくしようと考えて取り組むと楽しくなり、その仕事は大きな意味を持ってきます。仕事の意味は、人から与えられるものではなく、自分で気づくものでした。
 もう一つ僕が気づいたことがあります。それは自分が楽しく活動すると、周りも楽しくなるということです。嫌々仕事をしている人を見るのは気持ちのよいものではありません。一生懸命楽しみながらやると、その空気は周りの人を包み込み、より楽しい雰囲気になります。
 どんな仕事も、進んで一生懸命やるうちに楽しめるようになる、ということを僕は発見しました。美化委員長の任期はもうあと半年しかありません。みんなが明るく楽しい学校生活が送れるよう、僕は校内の環境美化に、楽しみながら一生懸命取り組んでいきます。

優良賞

「人とうまく付き合っていくには」
周南市立熊毛中学校 3年 岸田 帆乃佳

 誰かの言葉や行動に、嬉しくなったり悲しくなったり、笑ったり泣いたりとそんな経験はありませんか。「言葉」というのは、自分の気持ちを相手に伝えることができる素晴らしいものです。しかし、言葉の選択を間違えると相手を傷つけたり簡単に嫌な気持ちにさせたりしてしまうこともできます。私が、そんな言葉と相手への伝わり方について考えるきっかけになった出来事を書こうと思います。
 私は陸上競技部に所属しています。陸上は大会や記録会、合同練習などが多くあり、中学生や高校生、指導して下さる先生やコーチなど、幅広い年齢の人と関わる機会があります。そんな中で私が難しいなと感じたことは考え方の違う相手との関わり方です。
 世の中には、様々な考え方をもった人がいます。3年生になって知り合いも増え、人間関係が広がった今、自分と考え方の違う人達ともうまく付き合っていかなければなりません。しかし、言葉を通じて互いの思いを伝え合い、理解し合うということは簡単なようで、すごく難しいことです。これまで、専門種目の練習をしていく中で自分と指導者との考え方の相違や、言葉が原因で分かり合えなかったことがあります。相手にうまく思いを伝えるにはどうすれば良いか…。それは、「言葉の使い方」です。
 私が言葉の使い方について考えさせられたのは、職場体験です。私は小学校で1年生を担当させていただきました。約7歳も年の離れた子と接することは普段ないので、始めは少し戸惑いもありました。けれど、私はその2日間でたくさんのことを学び、成長することができました。子供達と接する中で一番大切だと思ったことは、一度相手の立場に立って物事を考えてから発言するということです。授業などで1年生が分からない問題があるとします。その説明をする時、先生は1年生が分かる言葉を選んで使い、ジェスチャーを加えたり例えを出したりしてできる限り丁寧に分かりやすくなるような工夫をされていました。一方的に自分の意見を言うのではなく、相手の目線に立ち自分の思いを具体的な言葉を使って表現することで、相手に伝わりやすくなるのではないでしょうか。
 また、私が気になっていることは「言葉の捉え方」の違いです。よくライン等のSNSで、言葉の捉え方の違いや相手が見て辛くなるような発言をし、友達間でけんかが起きたり、最悪いじめにつながったりするという話を聞いたことはありませんか。私もつい先日、目上の方からラインで言われた言葉で深く落ち込んでしまうことがありました。冗談半分に言った一言かもしれません。人によっては軽く受け流すこともできるでしょう。SNSで簡単に、家にいながら文字の送受信によって便利に会話ができるようになった現在、より一層その使い方について考える必要があると思います。相手の表情や話し口調が全くわからない分、さらに慎重に言葉を選ぶべきではないでしょうか。
 中学校の最高学年となり、下級生にアドバイスしたり自分の意見を言ったりすることも多くあります。そんな時、一度頭で、これで良いのかと確認してから発言する。「それができていないからダメ」と言うのではなく、「こうしたらもっと良くなる」など、言い方次第で相手の捉え方も変わると思います。
 これからも、あらゆる考えの人達や異なる年齢の人達と関わってゆくことになります。その人、その場に合った適切な言葉を判断し、使える人になりたいです。
 また、言葉による誤解を招いたり誰かを不快な気持ちにさせたりすることがないよう、一人一人が常に意識して毎日を過ごさなければなりません。そうすることでよりよい人間関係をつくることができると思います。

優良賞

「身近にある深刻な問題」
萩光塩学院中学校 3年 廣谷 月香

私は、新聞やテレビで自殺や殺人などのニュースをよく目にします。そのような悲しい事件を見ると、胸を痛めずにはいられなくなります。同時に、私は自殺のニュースを見る度に「自殺を止めてあげることはできなかったのか。」と思ってしまいます。最近、少しずつ日本の自殺者数が減ってきているようです。それはとても良いことなのですが、私が問題だと思うのは子供の自殺者が増えていることです。平成30年では568人も自殺しています。なぜ自ら命を絶つ悲劇が繰り返されているのでしょう。その理由として、学校関係の問題が挙げられ、勉強や不登校など問題は様々ですが、いじめを苦にした自殺が後を絶ちません。みんな私と同じくらいの年齢で、まだまだしたいことや将来の夢など、輝かしい未来が待っていたでしょう。それが、いじめによって奪われてしまうなんて絶対にあってはいけないと思います。だから、どうしたら身近で起きているこのような出来事を世の中から無くすことができるか考えてみました。
 まずは、一人で悩まずに親に伝えて学校に相談することが大切だと思います。学校は、いじめにあっていることをはっきり伝えないと動いてはくれません。これは妹の件で良く分かりました。私の妹は、クラスでいじめを受けていました。毎日休まずに学校に行っていましたが、きっと一人で辛く悲しい思いをしていたのだと思います。妹は勇気を出して私達に伝えてくれたので、母が学校に相談しに行って改善されましたが、もし言っていなかったら今も辛い状態のままだったでしょう。
 しかし、「親に心配をかけたくない」という気持ちから事実を言い出せない人も少なくないと思います。そのような人のために、いじめアンケートの配布やスクールカウンセラーの先生、24時間子どもSOSダイヤルなどがあります。自殺に追い込まれてしまった人達は、「誰も自分のことを助けてくれるはずがない」「皆に迷惑をかけるだけだ」というひどい孤立感や、「私なんかいないほうがいい」「生きていても仕方がない」といった無価値観を感じて危険な心理状態に陥ってしまうそうです。そこから救い出してあげるためには、話をじっくり聞いてあげることが一番だと思います。先日、私は素晴らしい記事を見つけました。それは、一人の女性によって女子高生が自殺を思いとどまったということです。その女性は、自殺しようとしている少女に声をかけ、親身に悩みを聞いてあげて抱きしめたそうです。見ず知らずの子にそこまでできるなんて、本当に尊敬しました。また、この女性のような人がもっと増えていってほしいと強く思いました。そして、私も困っている人や助けが必要な人にそっと手を差し伸べられる人になりたいと思います。
 いじめをなくすことは、はっきり言って難しいことだと思います。いじめられた子の死ではいじめを止めることはできないし解決もできません。ですから、いじめられたら勇気を出して助けを求め、周りの人はいじめている人を見かけたら注意し、いじめられている子の力になってあげることが必要だと思います。
 これから先も、いじめやいじめによる自殺を防ぐために、社会や私達一人一人に何ができるのか、それぞれが意識して過ごしていかなければならないのです。

優良賞

「守れない命はない」
周南市立福川中学校 2年 茅原 望愛

最近、頻繁にニュースから聞こえてくる言葉「児童虐待。」 「またか……。」と思う一方で、こんなに当たり前のように起こっていい出来事ではないはずなのに……と思う。児童虐待はなぜ減らないのか。ましてや、自分の血を分けたかけがえのない子供である。どうかしている。一番守ってくれるはずの親がひどい行為をするなんて、私は信じられない。
もし、自分の子がケガをしたり病気になったりしたら、どんな気持ちになるのだろうか。考えただけで切ないし、中学生の私でもこんな心配な気持ちになってしまうのに……。
私の母親はどうなんだろうと思った。私は特別なことがない限り、母とお風呂に入っている。中学生になる前から、自分にもいろいろと悩みも出てきて、親との口数も減ってきた。だから、このお風呂で一緒に過ごす時間は、母と唯一、内緒話のようなことができる貴重な時間になっている。 
その時に、母にもどう思うか聞いてみたことがある。私は弟と年子で、母は働いていたので、育児は本当に大変だったそうだ。イライラしたことも毎日のようにあったそうだ。けれど、大変だということ以上に自分の子は大切で、育児から得るものがたくさんあったと言った。それを聞いて、育児をしているのはつらそうにも聞こえるが、そんなことは決してないと思った。親が子供を育てるということは、当たり前のことなのだ。
しかし、最近はその当たり前のことができなくなっているのだ。「なぜなのだろう」という思いがつのるばかりだった。
事件の中のいくつかは、児童相談所の介入があったにもかかわらず、もう少し早ければ助かった命もあったのにという思いだけがむなしく心に残ったものもある。
「自分の子供なんだから、何をしてもいい。」という人もいるけれど、子供も基本的人権を持つ一人の人間。そんなことを考えない親が増えてきているということは、現代社会の何かがおかしくなってきているのではないかという気がする。
私が母と話していて思ったのは、周りの協力が不可欠だということ。周りの人が手伝ってあげなくても、話を聞いてあげるだけで、大変さは軽減されるのではないか。虐待している親だけを責めても、この問題は解決しない気がする。その親がどうして虐待するようになったのか、親のほうにも手を差し延べないとダメだと思う。そして、人は頼ることも大切だと感じた。虐待というのはそんな簡単な問題ではないかもしれないけれど、初めから虐待しようと思って産む人はいないのではないかと思う。
今回、虐待についての記事を読んで思ったことは、今までは、虐待についてのニュースを見ていても可哀想にというぐらいにしか思っていなかった。母親がどんな気持ちで虐待をしているかなんて考えたことがなかった。
児童相談所に相談してもなかなか動いてくれないなどと聞くと腹が立つし、命を救うために、もっと必死になってほしい。そういう機関の数をもっと増やしてほしいと思った。
「アノネ 
親は子供をみているつもりだけれど 
子供はその親をみているんだな
親よりもきれいなよごれない眼でね」
これは、相田みつをさんの詩の一部だ。私は自分が大人になった時、恥じない大人でいたいと思う。
虐待という問題は決して軽々しいものではない。ましてや育児をしたことのない私がすべてを分かっているわけでもない。しかし、その行為は私にとって許しがたい行為だ。子育ては楽ではない。そんなことを改めて考えさせられた。
子供を産むだけでは、本当の意味の親にはなれない。子供たちの笑顔が奪われることのない明るい世界になってほしいと思う。「守れない命はない。」私達一人一人が周りに目を向け、気をつけることで守れる命があることを社会全体も知ってほしい。


 

H30少年の主張コンクール山口県大会について
2021/06/08
H30少年の主張コンクール山口県大会出場者のみなさん
H30少年の主張コンクール山口県大会出場者のみなさん
☆最優秀賞(県知事賞)
「私が今できること」
萩光塩学院中学校 3年 末永 夏穂
 みなさんは、ヘアドネーションという言葉を耳にしたことはありますか。ヘアドネーションとは、生まれつき毛根が存在しない人、不慮の事故や病気で髪の毛を失った人に、自分の髪を無償で提供しウィッグにすることです。私は、この活動を新聞記事で知りました。
 私の将来の夢は美容師になることです。ただ漠然とかっこいい仕事と思っていた私に、ヘアドネーションの取り組みは胸につき刺さりました。この活動に私も参加したいと思い、具体的に活動するにはどうしたらよいのかを調べ、実際に活動に参加した人の話を聞いてみました。
 寄付するためには、31センチ以上必要で、1人分のウィッグを作るには30人分の髪の毛が必要だということです。また、このウイッグを待っている人は100人以上いるという事を知りました。実際にこの活動に参加した友人は、「髪の毛を中途半端にして切って捨ててしまうより、髪の毛を失った人がヘアドネーションのウイッグで喜んでもらえると嬉しい」と言っていました。
 私も伸ばしかけだった髪の毛の長さを計り、参加することを決めました。伸ばしている途中、暑くてうっとうしいと思ったり、この長さの洗髪は時間がかかりめんどうと感じた事もありました。髪の毛が寄付できる長さになり、美容院でいくつかの束にして切ってもらいました。束になった髪の毛を空気が入らないように袋に入れ、大阪にあるジャパンヘアドネーション&チャリティー、通称ジャーダックという団体に送りました。送ってから2ヶ月ぐらいが過ぎ、短い髪型にも慣れてきた頃、私あてに葉書が届きました。それには、「あなたの髪の毛は、髪の毛が無くて困っている人のために大切に使われます。」と書いてありました。本当に自分の髪の毛が人の役に立ち、私の知らない誰かが、自分の髪の毛で明るい気持ちになってくれるかもしれないと思うと胸が温かくなりました。
 中学生の私は、誰かの役に立つことができることなどないと以前は考えていました。しかし、この経験を通して、誰でも何かしたいという気持ちがあればできるということを実感しました。切ったばかりの頃、何人かの人に「あんな長い髪の毛を切ったの?」と言われました。
 その時私は、ヘアドネーションの事を話しました。寄付するだけではなく、一人でも多くの人にこの活動を知ってもらうことも大切だと思ったからです。そんな時、校内での作文発表の場で、私に全校生徒の前でこのことを発表する機会が与えられたのです。
 私は、人の前に出て話をすることが苦手です。しかし、この活動を多くの人に知ってもらうため、勇気をもって発表しました。私の学校は女子生徒も多く、女性の先生もたくさんいらっしゃいます。きれいな髪を長く伸ばしている人がいます。私が作文を読み終えた後、このことを知った生徒や先生が「私も伸ばしてみるよ。」「知らなかった。こんな活動があるなんて。」伝わった、広がったと感じました。いつも自分の事ばかり考えてしまう私は、周りの事もよく見られる人になりたいです。この活動をきっかけに、誰かのためになること、自分にできることが少し分かりました。
 あこがれの美容師になったとき、この活動をまた多くの人に伝え、私の手で長く伸ばした髪をカットすることでしょう。その髪を大切に大切に、必要としている人へ届けるのです。そして今私はまた、髪を伸ばしています。


☆優秀賞(県教育長賞)
「萩往還で学んだこと」
萩市立萩東中学校 2年 山縣 栞乙里

皆さんは、何かを始めようとしても、自分にはどうせ無理だからとか、周りの人がこう言うから、環境が悪いからなど、他のもののせいにして諦める。そんなことはありませんか。私も少し前まではそうでした。部活も勉強も、とにかく理由を見付けて中途半端にやっていました。しかし、最近、そんな私の心を変える出来事があったのです。
私の学校では、「萩往還を歩こう」という2年生の行事があります。その名の通り、萩往還という、昔の人が歩いた道を実際に歩いてみようという行事です。私は、昔の人が旅をする際に歩いていたのだから、そこまで大変ではないだろうと、軽く考えていました。しかし、実際に歩いてみると、想像を超える厳しさでした。壁のような坂道がいくつもいくつも続き、体力だけでなく、精神もへとへとになりました。こんなに辛い道なんて、もう二度と歩きたくない、と思う程でした。そして、昔の人々は、こんなに大変な思いをして旅をしていたのかと驚きました。さらに、その旅の目的が「藩の外へ出て勉強したいから」と、強制ではなく、自分の意志でこの道を歩いたことを知りました。自分から命懸けで学びたいと願って萩往還を歩いた人がいる。昔の人の学びに対する意欲は、とてつもないものだったのです。
一方、私はどうでしょうか。目的の達成のために萩往還を歩いた方々のような、学ぶ意欲はあるでしょうか。私は、勉強は大切だと分かっていても、自分から進んでやろうと思うことはできません。今は、分からないことがあればいつでもインターネットで調べることができます。また、歩かなくても車でどこまでも行くことができます。そのような今の環境は、とても贅沢なものです。昔の人は学びたくても学べない状況があったのに、今はいつでも誰でも簡単に学ぶことができる。そのような環境にある現代社会にありながら、今まで私は何をしてきたのでしょうか。
松陰先生の言葉に、「能はざるに非ざるなり、成さざるなり。」という言葉があります。意味は、「出来ないのではない。やらないのである。」ということです。私は今まで自分より勉強ができたり、部活で上手だったりする人達に対して、もともと才能がある人達だから、などと勝手に考えていました。しかし、松陰先生の言葉を知って、私の思っていることは、やる気が出ず、結果が出ないときのための言い訳に過ぎないことが分かりました。これまでの私は、何も出来ないのではなく、何もやっていない、やろうとしていない状態だったのだと思いました。それと同時に、自分よりも出来る人は私と違って毎日毎日努力をしてきたからこそ、こんなに差がついたのだということに気付きました。才能など関係なく、気持ちの問題だと分かり、自分が今までどれだけ甘えていたのかと後悔しました。そして、これからを変えていきたい。懸命に努力していきたいと思うようになりました。
萩往還は、仲間と共に歩きながらも、私にとっては、目的に向かってひたむきに歩いた昔の人々のことを想う旅でした。今年は明治維新から150年という記念の年です。世の中をよりよい方へ変えていこうという志をもって生き、明治維新を成し遂げた歴史上の人物も歩いた萩往還。険しく苦しく、長い道のりだったからこそ、真剣に昔の人達の生き方を想い、自分を振り返ることができたのだと思います。環境のせいにしたり、才能のせいにしたりするのではなく、目的をもって何かを始めようとする心は、社会や物事を変えていく原動力です。前向きに努力すること。それを積み重ねること。挫けそうになっても、決して諦めないこと。萩往還を最後まで歩き続け、たどり着いた考え。それを手にした今、自分の力で未来を切り拓いていく覚悟です。


☆優秀賞(県民会議会長賞)
「史上最大のパフォーマンス」
萩光塩学院中学校 3年 福嶋 希衣

私は、今年の春休みに、ある映画を観ました。それは、「グレイテスト・ショーマン」です。題名にある通り、この作品は、ある1人のショーマンの話で、大体が実話です。「史上最大のショーマンが贈る、最も素晴らしいショー。」私は、この作品が大好きになりました。それは、この作品に共通点を見つけたからです。
主人公は、P・T・バーナム。彼は周りの人たちから「偏見」をもたれている人を自分のサーカス団に出演させ、ショーとして成功させた人です。出演する人の中には、ホルモンの異常で、ヒゲが生えている女性や、体の一部分がつながっている人、足が3本ある人などがいました。小さい事ですが、私は、主人公のバーナムではなく、出演者の人たちとの共通点を見つけました。共通点といっても私が、この人たちのように、今までひどい扱いを受けてきたという訳ではありません。その共通点とは、私もその人たちも、自分たちのパフォーマンスで観客を笑顔にすることを誇りに思っているという点です。
私には、「ミュージカル女優になりたい」という夢があります。小さい頃に、よく、私の両親が舞台に連れて行ってくれました。その時に、スポットライトを浴びて、大勢の観客の前でパフォーマンスしている役者さんが私には輝いてみえました。それに私は、小さい頃からダンスや歌が大好きでした。そのため、私は、将来、舞台女優になる事を決意したのです。しかし、私が小学生の時、クラスの友達の前で、自分の夢を発表する機会がありました。その時、私が自分の夢を言うと、皆は、「何それ〜」「人前で何かするのって恥ずかしいし、ちょっとおかしいよね」などと、ヒソヒソと周りの子と話していました。私は、ミュージカル女優になるという夢に、誇りを持っていたので、正直、その時はショックでした。周りは、ほとんどが「保育士」や「看護師」といった職業に就くことを夢にしていました。そのため、私が皆とは少し違った夢を目指している事が、少しおかしかったのかもしれません。しかし、私は自分の「個性」を夢にする事をあきらめたくありませんでした。私の大好きなダンスや歌で、観客の人を笑顔にしたかったのです。
グレイテスト・ショーマンにもでてきた、サーカスのパフォーマーの人たちもそうです。「見た目」などで偏見を持たれ、差別を受けてきた人々、親や知り合いまでもから、存在をかくされてきた人々。しかし、その一人一人が「個性」の塊なのです。それぞれの個性が集まるからこそ、観客から、笑顔が溢れたのです。
ひげ女のレティーを始めとしたサーカスのパフォーマーの人たちは、今まで隠してきた個性を大勢の観客の前で最大限に発揮することで、たくさんの人々を笑顔にしました。初めは興味半分で訪れた人も、彼らのパフォーマンスが終われば、誰もが「楽しかった」「おもしろかった」と言いながら帰っていきます。レティーたちは、自分たちのパフォーマンスで観客を笑顔にするという事に誇りを持っています。そして、それぞれの「個性」にも……。
私は今も、「ミュージカル女優になる」という夢を追い続けています。私は、自分のパフォーマンスで、観客を笑顔にできるこの夢に、誇りを持っています。そのため、この夢は誰が何と言おうと変わる事はありません。私が将来、この夢をかなえたら、私は、自分の「個性」を最大限まで発揮して、数えきれない程の観客を私のパフォーマンスで笑顔にします。そして、いつか「史上最大のパフォーマンス」をお届けすることを約束します。


☆優良賞
「もうスマホは要らない」
周南市立菊川中学校 2年 西村 泰紀

 真新しい制服やかばん、自転車、バットやグローブ、中学校入学のお祝いに両親は僕に色々な物を揃えてくれた。けれど僕が欲しいものは他にあった。「お前、持ってないん、かわいそうー。」いつも友達からこう言われる。うらやましい気持ちがいつも心にあった。「みんな持っちょるからスマホ買って。」と何度か両親にアタックしたことはあるが、答えは決まって「NO!」だった。2人はかなりアナログ派だ。
 中学生活も軌道にのり、それぞれが部活や勉強にと忙しくなり、口数も減ってきたのを感じていた最中、なぜか僕の友達は別の友達と遊ぶ約束をしたり、一緒に映画に行ったりしていた。ラインで約束をしていたという話を聞き、僕はふっと淋しくなった。そんなある日、クラスの学習委員が翌日の日課を間違えて板書していたため、グループラインで一斉に変更を知らせていた。忘れたのは僕を含め数名だった。両親に再度スマホを願い出てみたが、返事は決して変わらなかった。その時に初めて両親の思いを聞いた。一つ目は金銭的なこと、二つ目は今、きちんと話ができる人になってほしいといった内容だった。母は「昭和」な人だ。島育ちで遊びは海や山、時々校庭で遊ぶ日は、年齢の上下なく群れて大勢で楽しく遊んだ話を延々としている。こんな母とのやりとりはいつも平行線で終わってしまう。でもやっぱりラインで話したり、家に居ながら友達とゲームでつながることができるなんて魅力的だと思ってしまう。
 ある夜「明日の日課教えてー。」と友達から電話がきた。「誰かにラインで聞けば早いのに。」と言うと「たいきに聞けばちゃんと教えてくれるからさ。」とうれしいことを言ってくれる。受話器を持ちながら思わず顔がニヤけた。僕も日課を書き忘れることがある。当然電話を使う。「夜遅いのだからすみませんって言うのよ。」と側で母がくどくど言っている。夜分遅くにの言葉から始まり、用件を伝えて返事をもらう、この一連の流れはやはり面倒だ。でも友達の生の声が聞けるのは悪くないなぁとも思う。
 以前、東京で地下鉄に乗った。超満員の電車の中でも、ほとんどの人が一言もしゃべらずに下を向きスマホを触っている光景は僕の目には異様に映った。又、スマホに夢中になり自転車で老人をはねてしまった事故もあった。ラインが原因でいじめに発展してしまった例もある。学校では校長先生が、これからの世の中は人工知能をもったロボットが活躍する時代がくると話していた。将来なくなってしまう職業も増えるらしい。「猿の惑星」は猿対人間だが、これからはロボット対人間の世界になってしまうのだろうか?なんだか恐怖を感じてしまう。だが校長先生はロボットに機能をかき込むのは人間にしかできないことであり、これからは今以上に人の心が大切な世の中になると教えて下さった。
 両親の考えはあながち間違っていないのかもしれない。今、僕にはスマホはない方がいいのかもしれない。昔は男子のけんかはとっくみあって、ぶつかりあって翌日には何事もなかったかのようにケロッとしたもんだったと父や祖父から聞いたことがある。僕の周りでは、そんなけんかはあまり見たことがない。体と体がぶつかりあう、心と心がぶつかりあう、そんな経験が減っているのかもしれない。僕は便利さにあまり頼らず、面倒くさいこともしてみようと思った。そして友達の目を見てたくさん話をしようと思った。
 僕の友たち!もっと語ろう!もっとぶつかろう!
 僕はいつだってファイティングポーズで待っているよ!


☆優良賞
「正しい上下関係」
山口県立高森みどり中学校 3年 成本 麗菜

 「わたしたちカヌー部は先輩後輩関係なく毎日楽しく活動しています。」これがわたしたちカヌー部の新入生向けの部活動紹介です。しかし、「先輩と後輩の壁がない」というのは、よいことなのでしょうか。私はこの春新しい後輩ができて、そのことをよく考えるようになりました。
 私が所属しているカヌー部では、女子の人数が少なく、女子の先輩は1人しかいません。でも、その先輩はいつも明るくて、弱音などちっとも吐かず、いつも一生懸命で、私の憧れの人です。私がカヌー部に入部して1年が経った頃、初めての後輩ができました。女子は1人だったけど、とても嬉しくて、友達と大喜びしたのを今でも鮮明に思い出せます。その子は、とてもしっかりしていて、「いい子だなぁ」と思っていました。
 そして、今年の春になり、また新しい後輩ができました。今年は、女子が3人も入部してくれ、部も賑やかになり、これからがとても楽しみに思えていました。1年生は、自分に素直な子達ばかりで先輩後輩関係なくはしゃぐこともよくありました。しかし、しばらくすると、2年生と1年生がうまくいかなくなり、仲がぎくしゃくするようになりました。始まりは、1年生が2年生に対して友達のようになれなれしく接することからでした。私はそれまで1年生に対して、人なつこくてかわいいし、楽しければそれでいいと思っていました。でも、楽しいだけではいけないことを実感しました。
 日頃から、先輩後輩の関係を気にせずにいると、きちんとしないといけない場でも、ぼろが出てしまいます。先輩と後輩の壁がないというのは、いつも楽しいとか先輩と仲がいいという面ではいいことだと思います。でも、一度規律が乱れてしまうと修復するには時間も手間もかかり、悪循環に陥ってしまいます。実際、私の部では何度か話し合いを行い、その場では状況が良くなりましたが、いまだに裏ではぎくしゃくとした関係が続いています。ぎくしゃくしているだけならいいとしても、口論になったり、いじめなどに発展したりすると、ただ事ではなくなります。先輩も後輩も、お互いがお互いへの接し方や関わり方について考え直すことが大切だと思います。
 当事者だけではなく、その周りの人に問題があることもあるかもしれません。私たちの場合、場をわきまえていない行動に対して、「注意」をしませんでした。私たち3年生が後輩の態度を容認していたことになります。もしも、あの時こうしていれば……と思っても、もう遅いです。その時その瞬間に判断して、言わないと何も変わりません。間違ったことをしてしまった本人も、後からむし返されて言われるより、その時注意された方がすっと受け入れられるのではないかと思います。
 先輩は後輩の面倒をみたり、正しいことを教えたりして、お手本となる存在となり、後輩は、先輩から学び、感謝し、礼を尽くす。それが昔から日本人が大切にしてきた上下関係なのだと思います。そして、お互いがいい距離を保ちながら、協力しあうことで、上下関係のトラブルも減ってくるのではないでしょうか。
 最近、道徳の授業で先輩と後輩について、考える機会がありました。自分が「尊敬する先輩」と「苦手な先輩」について、話し合いました。いつも一生懸命、誰よりも頑張る、など尊敬できる先輩に対してポジティブな言葉が飛び交う中、自慢が多い、めんどくさいことは後輩に押しつける、などといったネガティブな言葉ばかりが苦手な先輩に対しては挙がっていました。私はどっちなんだろうと考えたとき、自信を持って「尊敬する先輩」だとは言えない自分に苛立ちを覚えました。
 これからは、いけないことはいけないと注意し、でも厳しくする分、後輩をたくさん可愛がり、よりよい上下関係を築いていきたいです。そして、「尊敬する先輩」に一歩でも近づくために、頑張っていきます。


☆優良賞
「今、この瞬間を生きる」
下松市立末武中学校 2年 怒和 桃子

 眩しい太陽がじりじりと私を照りつけます。何かを私に伝えるかのように。私は空を見上げ、太陽を睨み返しました。
 中学生になって、1年が経とうとしていました。中学校にも慣れ、学校行事も頑張りました。信じられる親友もできました。しかし、その一方で、私は部活動に本気になれませんでした。テニスコートでボールを打つ先輩を見ながら、物足りなさや不安を感じている自分がいました。
 私たちは春休み、島根県に遠征試合に行きました。練習試合で、私は先輩と組ませてもらいました。先輩は県の中でもトップクラスの選手です。いざ試合となった時、私は汗でうまくラケットが持てませんでした。相手は県外のとても上手な選手で、一瞬の隙を見逃しません。先輩が歯を食いしばって接戦に持ち込んでくれましたが、私のミスが原因で負けてしまいました。練習試合とはいえ、私は先輩への申し訳なさで一杯になりました。自分の一つひとつのプレーが頭によみがえり、強い後悔の気持ちが頭の中で堂々巡りを始めました。
 私が落ち込んでいると、父が穏やかな声で私を諭すように言いました。
 「今の試合で、あなただけが自分のミスを気にしていた。コートの中にいた他の3人はプレーのことを考え、試合に集中していたよ。目を向けるべきは、してしまった失敗よりも、次に自分がどんな役割をすべきかを考えるということなんじゃないかな。」
 私は父に言われて初めて、自分の中にくすぶっていた何かが突然弾けたように、気持ちが軽くなるのを感じました。私は自分の失敗や試合の結果にとらわれ、自分のことばかり考えていました。父の言葉から、自分は今まで何もわかっていなかったのではないかと思いました。自分のことで精一杯で全く周りが見えていませんでした。
 県体予選まであと1週間を切ったある日、2面しか使えないコートの1面を団体メンバー8人で使うことになりました。もう一つのコートでは、たくさんの人が長蛇の列を作って、ボールを打つ順番を待っています。「みんな文句も言わず私たちのために我慢してくれている。それなのに自分が頑張らないなんて許されない。それが団体メンバーとしての責任だし、みんなの気持ちに応えることなのだ。」と思いました。
 そして、いよいよ県体予選の日を迎えました。「ゲームカウントスリーオールファイナルゲーム……デュース」あと2ポイントで負けてしまう。私は何度も汗を拭いました。この緊迫した状況で、私のサーブからのスタートです。私はカウントを聞きながら、グリップを確認しました。その時、今までの日々が濁流のように頭の中に流れ込んできました。全力でした練習。みんなにコートを譲ってもらったこと。たくさんの人の声援。今本気にならないでどうするんだという強い気持ちが私の体を突き動かしました。そして、無心に白球を追った結果、試合に勝ち県体に出場できるようになったのです。
 最近では以前のように不安を感じることもなく、練習に集中できるようになりました。ボールを拾いながら思いました。失敗を振り返るのも大切だけど、一番大切なのは、強い気持ちをもって今を一生懸命生きることだ。そして、辛いとき、その私の気持ちを支えてくれたのは、私を応援してくれる仲間の声だった。みんながいてくれて本当に良かった。
 私はなぜだか、もっともっとできる気がしています。全力で取り組むほど世界が広がっていくような気がします。
 ふと見上げた空は澄み切った青色で、そこには真っ白い飛行機雲が、果てしなく伸びていました。


☆優良賞
「サザンカのように」
周南市立熊毛中学校 1年 三輪 大賀

 ぼくは、生まれた時から食物アレルギーがある。小麦と牛乳を食べてしまうと、命にかかわるアナフィラキシーショックを起こしてしまう。アナフィラキシーショックとは、体にじんましんが出たり、せきが出て息が苦しくなったり、気持ち悪くなってはいたりする症状が同時に出て、意識を失うことだ。
 2歳位の時にぼくは、アナフィラキシーになった事がある。だいぶ前のことだからよく覚えていないけれども、とても苦しかったということだけは覚えている。
 そうならないために、いつも食事には気をつけている。給食でも、お母さんが作ったお弁当を食べている。除去食というアレルギーの原因となる食品を除いて作られた給食を、センターで作ってもらって食べることもある。
 ぼくは、周りの多くの人たちに支えられているんだということが分かった。学校の先生や友達、給食センターの人、そして何より家族のみんな、いろいろな人たちに助けられているからこそ今のぼくがある。
 お母さんは、給食の献立などを見て、ぼくが食べられるものと食べられないものに分けてチェックしてくれる。誰よりも心強い味方だ。
 お父さんは、ぼくを楽しませてくれる。ぼくが食物アレルギーがあって旅行が大変になるにもかかわらず、何回も旅行につれて行ってくれる。非常食を食べるキャンプをしたこともある。お父さんのおかげで、たくさんの思い出ができた。
 ぼくは、何でも食べている自分を想像することがある。ラーメンってどんな味がするんだろう、うどんは?ピザは?ケーキやソフトクリーム、クッキーやシュークリームはどんな味だろう?いつか、何でも食べられるようになる日を、ぼくは、楽しみに待っている。
 ぼくの主治医の先生は、とても優しく、無理して食べる治療を進めない。ぼくの気持ちを最優先にしてくれる。あちこち講演会や診察でいそがしいけれども、アレルギーがある人達のためにがんばっている。
 ちなみに、アレルギーと深い関わりのあるIgEを発見したのは日本人である。また、アレルギーの症状をおさえる自己注射(エピペン)の成分に使われているアドレナリンを発見したのも日本人である。
 ぼくも、将来、未だ解明されていないアレルギーの新薬の開発にたずさわりたいと思っている。ぼくと同じ様に、食べずにがんばっている人たちや子供たちといっしょによりそえる医者になりたいと思う。
 ぼくが、「サザンカ」をタイトルに使ったのは、歌手セカイノオワリの曲である「サザンカ」の意味を調べたことがきっかけだった。サザンカの花言葉は、「困難に打ちかつ」というものだ。「サザンカ」の曲の歌詞も花言葉も、今のぼくと重なる部分があった。
 「いつだって物語の主人公が立ち上がる限り、物語は続くんだ」
 ぼくは、いろんな人の支えや協力や応援によってこれまでやってきた。これからも、たとえ食物アレルギーがあったとしても、いろいろなことをあきらめず、自分を大切にしていきたい。自分を守りながら、感謝を忘れず歩んでいきたい。そんな思いを込めて。
 最後に、ぼくの最大の味方である家族に、いつもありがとうと伝えたい。ぼくが、あきらめず夢をもって生活することができたのは家族のおかげだ。いつも優しいお母さん。自分の好きなことを楽しんでいるお父さん。かわいい弟とぼくの4人家族でいっしょにいられることの幸せに、ありがとう。


☆優良賞
「あたりまえ」
周南市立熊毛中学校 1年 吉松 潤

僕はこの4月9日から中学1年生になった。入学式は、多くの方々の参列により、華やかに終えることができた。中学校の始めには、入学式があってあたりまえ、準備がされていてあたりまえと思っている人も多いだろう。しかし、この世の中には「あたりまえ」ということは存在しないと思う。
僕が小学5年生の頃、教頭先生に、「皆があたりまえだと思っていることには、必ず誰かの苦労や努力があります。」と言われた。その言葉に僕は、はっとした。それまでの僕は、目に見えるものばかり気にして、その奥にある苦労や努力に、目を向けていなかったからだ。
その言葉から、僕の考え方は一変した。どんなことにも、誰がどのようなことをしてくれたのだろうと、常に考えられるようになった。
例えば、運動会。先生方が、僕達が最高の演技ができるように、構成を考えたり、小物を用意してくれたりした。僕も最高学年として、応援団長として、準備や下級生への指導をすることが多かったために、他の人よりも先生のサポートが分かった。
運動会の前日準備。地域の方々が一生懸命準備をしてくださった。僕の通った小学校は児童数が少なく、保護者の方や先生だけでなく、地域の方が手伝ってくれるのだ。
次の日には、当然のように運動会が始まった。当日は、競技にも参加してもらい、とても楽しく、思い出に残る運動会になった。僕達は地域の人との関わりが多い分、準備してくださった方々への感謝をしなければならないと感じた。
また、学校で毎日出る給食。「いただきます」「ごちそうさま」、皆言わなければいけないから言っているように見える。中には、途中で言うのをやめてしまったり、言わなかったりして、早く遊びに行きたいからなどと言って立ち歩く人もいる。本当に、それで良いのだろうか。いや、良いわけがない。なぜなら、給食には、給食を作ってくださった人はもちろん、食材を作ってくれた人、運んでくれた人など、たくさんの人が関わっているからだ。給食はあたりまえなどではない。
家での食事も例外ではない。自分の親が作っているから、感謝する必要はない、などということは有り得ない。自分のために作ってくれているのならば、当然感謝はしなければならないのではないだろうか。別に口で言わなくても、恥ずかしいのなら、そう思うだけでも良いと思う。感謝とは、口で言えば良いのではなく、感じることが大切だからだ。
今の時代では、朝、昼、夜の3食きちんと食べることができる。しかし、昔は満足に食事ができない人がたくさんいた。今でも、海外では、栄養失調で、生死の間をさまよっている人がたくさんいる。CMで、そんな人達を助けるための寄付を呼びかけるものを見たことがある。そのような人々がいるのに、僕達は食事ができてあたりまえなどと思っていてはいけないのではないだろうか。僕達がこうして食事ができることは、ある意味奇跡かもしれない。
ここまで深く考えると、あたりまえと感じることはなくなると思う。これから生きていく中で、どれだけ深く考え、感謝できるかは一人ひとり違ってくる。僕は常に、支えてくれている全ての人に感謝の気持ちを持っていきたい。
あたりまえの反対語はありがとうだと考える。調べてみると、ありがとうとは「有難う」と書く。あることがむずかしい、まれである、めったにない事にめぐりあう、という意味である。普段の何気ない生活をあたりまえだと思わず、一瞬を大切に生きていきたい。
「有ること難し」


 

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草原
やまぐち子育て連盟 http://yamaguchi-kosodate.net
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